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痛みを感じることができるのも、ある種のセンスだ

タイトルはこの前大学の先輩にもらった名言。うんたらうんたら内心吐露的を書くためのブログなので、久々にうんたら。

先輩にこれ言われて、ナイトメアのNothing you loseの歌詞の「まだ痛みを感じられるなら強くなれるさ」を思い出した。この前読んだ夜と霧にも、「苦しむことはなにかをなしとげること」とあった。痛みを感じることもきっと悪くないよ。

学生時代、教授に「お前は"デザイナーになること"が目的になっているからダメだ」と言われてから、「なにがしたいの?」というのがここ5年間くらいのテーマなんだけど、この前友達と話していたら、彼女が「嫌なことをしたから、やりたい、が見えてきた。中途半端にやりたいことができていたら、そのまま思考停止して甘んじていたかもしれない」と言っていて、やってみるからこそ次が見えるんだなとはっとした。やりたい事、やりたくない事、なんでもいい、やってみたら何かしら心が反応して考える。そこからまた次を考えればいい。はじめから「これが私のやりたいことです、そのための手段はこれです。何年後までにこれとこれとこれをしてこうなります」なんて計画できる人はいいけど、それが分からないから悪だってわけじゃない。それを見つけるためにやるんだ、目標が見えないなら何かしらやってみればいい。

前書いたカヤックのセミナーの記事がありがたくも、自分至上最高のいいね!やはてぶを貰って、それがきっかけでカヤックの方と会ってお話することができた。会って話す事でもやもやとしていたことがクリアになった部分もあった。そういう機会って自分で計画できるわけないじゃない。偶然が重なって、てくてく歩いていたら、いつの間にかそこにたどり着くのが自然なんじゃないかな。自分ができる努力といえば、そういういいチャンスを引き寄せられるようにポジティブに居ることと、いつでも波に乗れる様にアンテナ張り巡らして腕を磨く事なんじゃないかと。

自分一人で頭を抱えて答えを探すより、「やってみる」「話してみる」ことのほうが、自分の輪郭をはっきりさせる近道なんじゃないかと思った今日この頃。そういう自己暗示。笑。続きのうんたらは夏休みの福岡の旅記録に続く。