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すきなかなかじき

ただの自己肯定記事だけど下書きのまま放置するのもあれなので年末ブログ大掃除。タイトルは小さい頃に自分が作ったらしいという言葉。「じいちゃんのこと好きか?」と聞かれて、「好き」ではないけど「嫌い」とも言えなかった(悲しむだろうな…とでも思ったのかな?)からだそうで、我ながら小さい頃にはそんなに空気が読めたのか感心する(今はよく読めないし頭も回らない)。

引越しの際に「荷物がこんなにも多かった!」的なぼやきをぽろっとしたら、数人から物は最小限がいい発言が返ってきて「荷物が多い事が悪」なのかもしれないと責められている気持ちになったりしたので思った事を徒然。

確かに不要なものをたくさん持つのは無駄だけど、自分の居場所を圧迫しない程度に自分の居心地のいいモノに囲まれて、心身とも健康に過ごせればそれでいいのよね。だってここは自分が落ち着くための自分のための城なのだからね。まぁ、誰かと住むことになってそれで迷惑をかけちゃうようだったら、相談していいバランスのところで片付けましょうって(理想論すぎる?)。

価値観が異なっているとそれを否定にとらえがち。。。「それは間違ってる」になると自我のぶつかり合いになってしまうので「その価値観だとそうなのねー」と受け取ったほうがいい。その人はその人の価値観の中で発言した訳で、「私の世界なら」なわけだよね。客観的に見ると、「あなたはあなた、わたしはわたしなのよ」と冷めた感じになってしまうんだけど。色んな環境、世界を想像してみることは悪くない。そうやってカッとせずに生きていきたい。カッとした人間の顔はどうも苦手だから(得意な人はいないと思うけど、なんか自己肯定の固まりみたいで気持ち悪くなっちゃう)。