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働く者の肌感と、豊かさについて考えさせられたはなし。

年始に母方のばーちゃんが生死を彷徨った(手術は成功し今はもう元気!)とのことで、今回のGWの目的はばーちゃんに会いに行くことだった。おじさん(母の兄ちゃん)も帰ってきてて色んな話をしたので覚え書き。

人が死ぬとき。

人が死ぬとき。
やがて歩けなくなり、食べれなくなり、話せなくなり…徐々に一つずつできなくなっていくものだ。

山田ズーニーさんは著書「おかんの昼ごはん」のなかで、人間は赤ん坊で生まれてきて大人になり、母になり、年を取りまた赤ん坊に戻り死んでいくと言っていた。ホームに入っている父方のばーちゃんにも会いに行ったが、痴呆が進み、数分前の記憶も持たない。「あんた何歳な?」「29歳」「さっさとお嫁にいかないかんので!」「そやなぁ」「ええひとはおるんな」「おらんよ」「…あんた何歳な?」の繰り返し。本やテレビで見聞きはしたことがあるものの、こんなにも人の記憶が持たなくなっていくのかと軽い衝撃だった。みんな、こうやって生涯を終えて行くのだな…。

働く者の、肌感。

高校3年生の冬に死んだじーちゃんは、蒸気機関車の運転手だった。そういえば、もうすぐリニアが走る。蒸気機関車が引退して、じーちゃんが国鉄の運転手としても引退するとき「機関車がどんどん進化して一番先にいらなくなるのは何だと思う。運転手だよ。レールの上を走るのに運転手なんかいらない」って言ってたらしい。リニアになれば駅は無人だし運転手も居ない。むしろ人間が関わることでヒューマンエラーの元になるかもしれない。じーちゃんはきっと働きながら「肌感で分かっていたんだ」と、生きているうちにそんな未来がもうくるのだとおじが聞かせてくれた。

人口密度。

香川県はものすごく住みやすい場所だ。海はあって魚介は豊富だし、山もある。気候だって温暖だ。地震も少ない。平野が開けているから、畑もできるし住居も構えやすい。外に売りに出せるほどの作物は作れないけど、食べていくのには困らない量の作物ならできる。50mに1人は住んでいる計算だそう。一方東京はどうだ、というと「東京は地に足がつかない」そう。人が多すぎて、空中なんだ。
マンションを買い、お洒落な家具、高級レストランで厳選素材のおいしいお高い食事。かたや、自然の多い土地の平屋の家、海も山も徒歩十数分ほど。スーパーで買った分厚いお刺身に、数百円で大きな鯛が食卓に並ぶ。みかん狩りに行かなくても、柑橘類は裏の畑で取り放題。豊かさ、とはなにかを考えさせられる。
どっちが正解かではなく、どっちが好みか、の話でもあり。福岡、東京と、都会での一人暮らしも10年を超えた。自分にとっての豊かなくらしとは何だろう。

これから、と、東京ですること、に思いをめぐらせつつ。また出陣である。