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だいぶまえだけど30歳になった

もう1ヶ月以上前の話だけど、いつのまにか30歳になっていた。
特に誕生日会とか飲み会とかはしなかったけど、
(ひとりぼっちだったので当日は友達に頼んで一緒にもそもそピザを食べていた。なんとも侘しい…)
facebookでたくさんお祝いをいただいて、
ありがたいことに友達からお菓子とプレゼントをいただいた。

人が喜ぶことを言えたりできたりする人って素敵だ。
自分がはなかなかうまくできないので、
押し付けじゃなくそういうことができる人ってすごいなって思う。

子供の頃からしたら、30歳の自分なんて想像もつかなかった。
そもそも生きてんのかな?って感じだった。
けど、いま、母が自分を産んだ年なんてとっくに飛び越えて、東京で仕事してる。

20代前半は作ることが楽しくて、新しいことが面白くて、たくさん吸収した。
好きの熱と「なりたい」があった気がする。
20代後半は調子が悪くてしんどくて、這いずりまわってた感じ。
地を這うのがお似合いだろって好きなアーティストが歌ってた。

この年になると、
結婚し、子を生み家庭を作る選択をするひと、
東京に出てきたけれど、体調を壊して地元に帰る選択をするひと、
職を変える選択をし、夢だった職業に転職するひと、
選択ができなくて、「そのまま」である選択をしているひと、
いろんな方向にみんな歩いていく。

10代から知ってた子なんかが、
いろんな人生の選択をしてく、なんだか不思議だ。

母になっていく友達や知人を見ながら思う。
自分の母は、望まない結婚で、初めての出産でなんて不安だったろうと。
うちのアルバムには、病院で撮ったであろうポラロイドカメラの写真が、
くしゃくしゃなまま貼られている。
聞くところによると父に捨てられたらしい。

やっと生めた、我が子に会えた!って喜びもつかの間、
夫に怒鳴られ子の写真をくしゃくしゃにされるなんて耐えられない。
くしゃくしゃにされ捨てられたポラロイドカメラの写真を
必死に拾い上げて伸ばしてアルバムに貼って保存してれたのかと思うと切ない。

歳をとって、はじめて等身大の母に想像が届く。
そんなひとから生まれ、30年生きた自分はなにを選択してゆくのかな。


人生は短いし時間は平等。
くだらないひとやことに無駄なリソース使ってる暇はないのよ。
大事にしたいものに目を向けるの。
まずはそこから。

(無駄なものなんて何も無いっていうけど、
 苦手で辛いものを無理にできるように頑張ったり、
 どうしても嫌いなものを好きになろうとするとか、
「乗り越えたほうがいいこと」と「置いといてもいいこと」がありそうなのよ。)

30代のはじまりは、うまくかわしたり休憩する方法を学ぶところからたぶんcontinueです。