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痛みのその先

ついにDIR EN GREYの新譜が発売された。評論家になるつもりは全くないけれど、感情記録として発売前に思っていたこととか、聴いて感じたことを素直につらつらと書いておこうと思う。(いちファンのいち感想なのでお気を悪くされた虜さんが居たらすみません(´・ω・`))

本当に美しいアルバムだと思った。

前作よりかなり聴きやすい、けどDIR EN GREYって感じ。Twitterの感想を追っていて、「UROBOROSは革命、DSSは深淵、ARCHEは血塗れでボロボロになっても進むイメージ」っていうことを呟いている方がいて、すごく共感した。同じイメージが伝わるのすごいと思う。これまでのアルバムは、その時点でできることをフルに出し切ったギリギリの怖さがあったけど、ARCHEは良い意味で余裕がある気がする。過去を否定せずまるっと受け入れ、今の表現力で次を作った感じ。

コアにある痛み、人間の闇、弱さ。深くて暗い井戸の底で絶望のなかそれでもうっすらと見える光に手を伸ばさざるを得ないような。誰にも真似させない、真似をされるのならば真似できないくらいに進化すればいい。本当かは分からないけどどこかでそんな話を読んだ。表現力を上げた彼らが表現する、日常では日の当たらない感情。血だ闇だとファッション的に『病んでいる』のではない。みんなが幸せに見えるその影に隠れている、にじむようなジュクジュクした痛み。

痛みも闇も確かにあるものだと、隠さず引きずり出してくれる。万人が共感できたり、かっこいいと思えるものではないかもしれない。だけど、触れたことのある人には、薄暗闇から差し伸べられた手みたいに優しい。わかる人にしかわからない。ハッピーな曲の良さを私がわからないように。逃げるのは簡単だ。見ないようにすれば楽になる。自分は正しいと他者を攻撃すればすっとする。他者に向けた刃ではなく、自己に向けた痛みのその先。本当に、彼らは宗教とか芸術の類をやっていると思う。

ふと、痛みとは「進むこと」だったんじゃないかなって思った。

進むのが嫌で「辛い」という痛みではない。ボロボロになってもそれでも進めばその先になにかあるんじゃないか、微かな希望と共に体を引きずり進む、そのときの軋むような痛み。空谷の跫音の"生きる為に変わる君へ"という歌詞。音楽と人で京さんが『人間は醜い。でも、それにもがき苦しみながら、それでも変わっていこうとすることが生きることだ。自分は弱くて卑怯だ、だけどそれを隠さないことが、自分を唯一救えること。 』と答えていたことを思い出して鳥肌が立った。

うまく進めない自分に京さんの言葉が滲む。彼らが紡ぐ音が染みる。魂が救われる。

『ただ戻るのではなくその先にあるものを』