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自分の越境話、裏版。

今年挑戦しておこうと思っていたことに、アドベントカレンダーがあって。DevLOVEの「越境」をテーマにしたアドベントカレンダーに参加させてもらった。すごい人や成し遂げている人が多すぎて、恐れ多くて「何一つも まだ越えられていないから〜♪(PIERROTの「壊れていくこの世界で」のメロディに乗せて)」が頭をぐるぐるしていた。。。

その後、今日になって2014年の振り返りを書くためにPathを1年分読み返したら、自分の越境に対する考えが隠れていた気がするので、こっそり備忘録としてコピペしておく。駄文だしポエムだし。

境が重なるところに身を置きたい、そこにある悩み

技術が変わってもUIや人間に対してどう接するかは変わんないはずだから、やっぱりFrontのJSのスペシャリストというよりは、技術とインターフェース、お客さんと技術、解決策の繋ぎ目がやりたいんだろうなぁと名古屋でおもた。

JS書いて新しい技術にも明るく、設計という名のデザインができるエンジニアは今目指す姿。ただ、JSを書けばUIサイドが疎かになり、コンサルをすればそれだけコードが書けなくなる。。。去年書いたライブラリは今はもう書けない気がする。欲張りなのは承知の上だけど悩ましい。。。しかもどっちも周りの外のエンジニアに比べれば中途半端。。。

UXに興味あるぜ色々知ってるぜステージと、実践できるぜステージは結構離れているんじゃないかと大きな意味での設計をお手伝いしながらおもう。

かっこいいと魂が震える現場

コンダクターが居なければ調和はうまれないし、演奏者がいなければ音は生まれない。演奏者がスコア通りに演奏すれば全体がよくなるかというとそうでもないかもしれないし、コンダクターは演奏者を見なくても良いわけではない。どっちが偉いとかない。各ポジションの最大値を引き出して気持ちよく協力できるのがいちばんかっこいい。プログラマとアーキテクトとPMと企画と営業と...足しただけでは生まれない価値を生むのがかっこいい。

チームで動く快感はね。自分ひとりで作れないから人に手伝ってもらう感じじゃないんだ。フラットなメンバーのフルパワーが合わさって、何倍ものものができる快感なんだ。「人を"動かして"私が企画で考えたものを作ってもらって、私一人で稼げます」の個人商店の気持ちよさじゃないんだよね。一人で可能な範囲には限りがある。一人のほうが足を引っ張られなくていいと思っているなら、きっとそれは本物の味を知らないだけかも。

基本的に、自分一人でできる範囲のことをあまり信じていないし、自分の正論なんて複数あるうちのひとつであって絶対的に正しいとなんて思ってないんだ。

「間に立つこと」と「踏み込むこと」の違い

例えばUXデザイナーと技術者の双方の分野は、分断されてなく近い領域にあると思う。エンジニア、デザイナー、ディレクター、様々な領域がある中で、『間に立ち繋ぐこと』と『相手の領域に踏み込むこと』は違う。各立場でプロ意識があるはずなので、踏み込み領域侵害するのはよくない。相手の領域を尊重し、繋ぐ。マージではなく、オーバーラップするところを繋ぎ、翻訳する作業。主張ではなく歩み寄り。
ほんとうにやろうと思ってる人、自頭が良い人、深く考えている人は、話せばすぐわかる。繋ぐだけではなくて、関係者間で一番納得いくところに落とすのも必要。

良いものを作るには『ゴールの共通認識』も必要。『どう力を利用して引きこむか』を考えなな。

ひっかかりとざわつきの答え

「何故こんなにもひっかかるか?」自身の背景に、

  1. アートを目指していたけど、大学でデザインに方向転換し、設計(いわゆる広義のデザイン)を6年間学んだということ
  2. デザインを学んだものの、技術が進み、企画やクリエイティブだけじゃなくて技術が分かってないと企画もできないんじゃないかという考えのもと、社会人ではエンジニアの世界に身を投じたこと
  3. 1と2合わせて12年間やってきて、ブリッジ部分にやっと近づけそうなこと

があって、大学でも会社でも工学やエンジニア軸にしかいない(一念発起して色んな分野学んだり、領域横断のコミュニティ活動している人は別) 領域の人に侵略のような踏み込まれ方をすると、これまでの積み上げを侮辱されているように感じるのだろう。

『12年間かけて気づき積み上げた'大切にしていること'』へ土足で踏み込まれている感がキーワードっぽい。

受託でいいし、大企業でいい

受託はつまんないと言うひとがいるけれど、いろんな受託のポジションがあると思うの。目的やユーザが見えずオペレーションに近い業務は、もしかしたらつまらないひともいるかもしれない。ただ、今のうちのポジションは、受託であっても面白いなぁと思っているから、受託だからってつまんなくはないよ、って。
UIコンサルって、表面のワイヤーを引くように見えて、業務フローとユーザーが見えてないとできない。要素の位置や遷移、色すべてに意味がある。クライアントの業務に対する深い理解が必要となるから、常にいろんなことを知らなきゃいけない。アサインされてから短期間で、相手と近いところまで、業務理解をしなきゃいけない。

案件が変わるたび、いろんな業界を味見できる。フロントエンド開発とUIデザインの知識を引っさげて、お邪魔させてもらうのだ。言われた通りに設計するんじゃなくて、本質はこうだから、こうしたほうがいいんじゃないかって提案することだってある。患者さんを診察してるみたいな感じ。飽きっぽくて色々顔を突っ込みたいうちには合ってんのかもなー、と思う。
きっと、受託がつまんないというひとは、別の視点で面白さを感じるってだけなんだろうなと想像。たぶん。

「新しい」でなくていい

「ひろみつがやってることって、ぶっちゃけ新しいもの作ってないじゃん?新しいもの作ろうよ」と言われた時の違和感の答え。新しいもの作りたいわけじゃないのよね。新旧は関係ないのよ。新規でも既存でもかまわない、人のためになるものを作りたいのよ。ユーザーが置いてきぼりじゃないものを手がけたいのよ。使う人がちょっとでもプラスの感情を感じるようなお手伝いをしたいのよ。

人のために。それは、エンドユーザーだけじゃなく、開発に関わるステークホルダー含め。オーナーを始め、開発者まで。魂は細部に宿るのよ。せっかく工数かけるんだ。みんな人生の一部削ってんだ。いいもんつくろうず。

なんで人のためになるものを作りたいのか?褒められたいからか?たぶんね、自分に自信がないからなんだわ。ちょっと自分勝手だけど、存在する意義が欲しいんだわ。自信がないなかでも「自分が良いものを作れる」という自信だけはあって、それがエンジンになっている気がする。その自信は、これまで生きてきた中で少しずつ積み重なったものづくりの成功体験と、創ることがすきという気持ち。

求められているのは「私の思う最高の機能」ではない。対象ユーザーじゃないのに想像で勝手に機能作ることがゴールじゃない。クライアントが一番ユーザとビジネスについて知ってる。それをユーザ視点で見るお手伝いをするのだ。ゆさぶり、引き出し、誘導する。こっちがビジネスオーナーになってクライアントを説得しようとしたらだめな気がしてる。あくまでわたしのばあい。

悶々しながら軸を掘り出す作業

を、今年はしていた気がする。無い物を作るのではなくて、本当はあったものを掘り出す作業。
大学のとき掲げた道標は、何一つとして変わっていなくて、やっと近づけそうなそんな気がしてる。