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なんとなく納得がいったこと

そろそろまた実家への帰省シーズンがやってくる。正月とGW、お盆と年3回は必ず帰るのがうちの習慣になっている。

実家に帰省してきたと、東京で実家暮らしの友人に話すと、「なにしてたの?」という言葉が返ってくる。そんなとき「ずっとごろごろしてた」「寝てた」と答えると、「えー!寝てたんかい!」「せっかくの休みだもん旅行くらい行こう」って突っ込まれる事があったりする。こういうとき、「寝てたっていいじゃん!」ってなんとなくむっとしてしまうのはなんでかいなと考えて、一つ納得がいったことがある。

実家暮らしと、遠くの一人暮らしの実家の位置づけが違うんじゃないか。

もし、自分が毎日実家から会社に通っていたとして。1週間の夏休み。ずっと実家に居たらどうか?うん、確かにつまんなかったなって思うかも。閉じこもってる感じがすごくする。外に出たくて仕方なくなるかも。「私はもう学生じゃないんだ、遠くに、外にいきたい!」

一方、実家と遠く離れて一人暮らしをしている場合はどうか。一人暮らしにも、すごく遠く離れてたり、2時間くらいで帰れる比較的近い距離だったり、実家との物理的距離感も様々だ。親との関係なんかの心理的距離感にも色々ある。家族間の余暇の過ごし方も様々だ。休みだといえばしょっちゅう旅行に行くような家族も居るだろうし、外食に行くところもあるだろうし、休みくらいゆっくりしようよってだらだらする家族もあるだろう。

うちの場合の物理的距離感は東京と、香川。長い休みじゃないとちょっとやそっとじゃ帰れないぞ、という謎の焦りみたいなものがある。親とは、高校の時はちょっとだけ反発してたような気もするけど、福岡で一人暮らしをしてからありがたみがちょっと分かった。人の死を体験すると、あと何回会える?と敏感になったりもする。その関係で、年に3回、1週間ずつ、3週間、実家に帰る。ゴロゴロしてる、ゆっくり休む、家族と一緒にいるっていうのもおかしくない気がしてくる。

むっとしてしまうのは、相手の文化に自分の文化を当てはめられて「ちがう」と言われているような気になるからだろうなぁ。「理解してほしい」気持ちがあるのかもしれない。自分が人と話す時も頭の隅っこに置いておきたい。