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2021年のふりかえりと、12年6ヶ月のおわり

毎年年末に書いているふりかえりブログ。今年もあっという間に年末がきて、年が明けた。昨年はコロナ禍で帰省できず、東京でふりかえり記事を書いていたけど、今年は弾丸で香川に帰省できた。ちゃんとPCR検査もした。

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昨年のふりかえりはこれ。 hiromitsuuuuu.hatenablog.com

2020年の頭にデンマークウクライナに出張してたなんて、本当に嘘みたいだ。コロナ禍がはじまったのも去年。本当に短時間で生活ががらりと変わった。 3年くらいのスパンでふりかえってみるととても恵まれていると思うのだが、2019年2020年と本当にしんどくて「10年積み上げたキャリアがすっかり崩れて何もなくなってしまったような感じ」に苛まれていた。本当に禿げるほど悩みつつ七転八倒していたらいいタイミングでご縁があり、12年半の物語に一旦幕引きをして、新しい環境へと転職したのが2021年の大きな出来事。

活動の芽吹きと物語の幕引き

個人的な感覚だけど、2019年の春からやっていたアジャイルの推進の芽が社内で出てきたかもと思える年だった。1年目は何をしたらいいかも分からなくて、価値を信じてくれる仲間もすごく少なかった感覚がある。勉強会をしたりいろんな現場に入れてもらったりして、種まきを必死にして、2年目にじっと水やりを続けていたら、3年目に芽が出るんだ!という感覚があった。悪戦苦闘して立ち上がったチームが継続して、その後のふりかえりに呼ばれたり、新規立ち上げの相談がぽつぽつと来るようになった。これまでの活動のまとめにと、スクフェス大阪にも登壇して、社外からのありがたいフィードバックをたくさんいただいてちょっと自信がついた。楽しく原っぱで踊り続けていたら、いつの間にか後ろに仲間が居た、そんな感じを3年で実感できた。

その一方、1年ほどずっと悩まされていたことがあった。そんな矢先にご縁があり、元々チャレンジしたい気持ちもあったので長年お世話になった会社を去ることに決めた。

去ることを決めてから、本当にたくさんのありがたいお言葉を色んな方々から渡していただいた。「これからのうちの会社を背負うのはひろみつみたいな人だと思っていた」「ロールモデルだった」「ちゃんとアジャイルの本質を理解して結果を出せたのは、ひろみつだったからだ」そんな言葉を大事に大事に受け取りながら、気持ちがぎゅっとなった。アジャイルを推進してできた全国のなかまたちから約60もの寄せ書きをもらって、退職の挨拶メールは気づけば200件を超えた。たくさんの人に背中を押してもらった。苦しかったこともあったけれど、本当に環境と人に恵まれてここまで育ってこれたなと思う。ひろみつがいなくなってもきっとゴーストは残り続けるよという言葉に泣きそうになった。

落ち着いたら、この後編を書こうと思う。 hiromitsuuuuu.hatenablog.com

いまはSaaSプロダクトデザイナーとして働いている。 10月にバタバタとリモート入社して、悪戦苦闘しているうちにあっという間に3ヶ月が経った。チーム外から影響を与えるアジャイル推進屋さんは一旦お休みして、プロダクトデザイナーをいちからやり直すつもりでいる。この辺の心境の変化なんかはまた書くつもり。これまでの自分の積み上げのどれが通用してどれが役に立たないのか、まだよくわからないけど頑張っている。これまではある意味長距離走感覚でやってこれたけど、今度はスプリンターとしての動きが試されているような感じがして正直めちゃ不安だ。まあでもきっと2022年のわたしがなんとかする。これまでもなんとかなってきたし。

新しくやったこと

2021年は、ポッドキャストをはじめた。2週間に1回、1エピソード20分のペースでやっている。ゆるゆるいい感じ。

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去年はじめたオンラインの読書会や勉強会も細々と続いている。

2022年の妄想

2021年後半は退職交渉やら新環境への適応で消耗しているので、兎にも角にも新環境でまずは立ち上がるのが2022年の前半の目標。ご自愛しつつ復活してきたら発信も復活しつつこのへんをやりたい。

  • 新しいデスクを買ってモニターアームをつけたい(アームはある)
  • キャンプ道具を揃えて自分の道具でキャンプにいく(まずはデイキャンプから)
  • 断捨離して部屋をすっきり
  • 運動する(散歩からでもよし、オンラインヨガ再開)
  • ITパスポートからIPAの試験関連勉強したい(食わず嫌いだったが必要性に目覚めた)
  • courseraのUXのコース受けたい
  • 英語再開
  • アフタヌーンティーとやらにいく!

オンラインでゆるっと繋がっているひとたちに救われている。また2022年も気が向いたらあそんでください。

コロナ禍のいまの記録、パート2。

コロナ禍の2度めの夏休み中で、実家にも帰省できず気持ちもどんよりしているので去年の4末に書いた記録ブログをやることにした。去年のブログでは感染者が1300人になったとか書いてるけど、先日東京は5000人を越えましたよ…。

hiromitsuuuuu.hatenablog.com

前回のコロナ禍ブログ(2020/4/26)から変化したこと

仕事環境

相変わらず在宅が続いている。前回は一時的に在宅で働くためのデスクといった感じのレイアウトにしていたけど、部屋を大幅に模様替えして、寝たりゴロゴロするスペースと働いたり活動するスペースをばっさり分けた。背中側が壁だと落ち着くというので、椅子の後ろは壁&本棚にした。テレビ会議がめっちゃあって自宅のネットが遅すぎて仕事にならないので、ついにWiMAXから光に乗り換え、ネット環境が快適になった。マイクアームとマイクも導入し、音声が快適に。そうやって自宅環境を改善していっているうちに、オフィスがフリーアドレスになり、自分の席という概念がなくなった。荷物もほぼ無いし、同僚も出社しているとも限らないし、ネットの速度も自宅のほうが早いくらいなので出社する意味があまりなくなってきた。ただ、昨年にくらべて黙々と話さず一人で仕事をするのに限界がきているのか人恋しくてたまに雑談しに出社したりしている。

Skype

前回のブログではインストールに手こずっていたけど、その後親がめちゃくちゃSkypeに慣れた。オンラインになってるといきなりコールがくることもあるし、電話すると「Skypeつなぐ?」と言ってSkypeに移行する。「この前洗濯を干していたら、昨日こんなことあったなとまるで帰ってきてるみたいな気持ちになった。映像があるとあまり距離を感じない、まるでそこにいたみたいだ」と言っていた。技術が色々な人の手に渡ることはすごい。

8個の質問

身だしなみの変化量

去年よりより身だしなみに手を抜くようになった(いいのか?)。パンツ2本とTシャツ3枚あれば働けるんじゃないかという感じ。化粧はクッション形式の日焼け止めにフェイスパウダー、ビデオ会議があるときだけ眉毛書くか、みたいな…秒で終わる。

気分転換の仕方

これが結構難しい。物珍しかったオンライン飲みには飽きてしまった。変わらず散歩と植物の水やりはしているけれど、ほぼ日常になってしまい気分転換になりにくくなった。最近は近所のスーパー巡りが気分転換と化している。サミットが一番好きかも知れない。

身体のメンテナンス方法

オンラインヨガと近所の散歩。毎朝のラジオ体操は私の首の不調により中断してしまった(いつも来てくれてた方々には申し訳ない…)。夜は22時くらいから電気を消して小さい暖色のライトにすると気分が落ち着くのでたまにやってる。

オンラインヨガ、1回500円からできるし、月額の会員になったら1000円で週4回参加できるという破格なので気に入っている。 https://peatix.com/group/7247108/view

雑談の効果や必要性、実施方法

去年より必要性を感じるようになってきた。出社してふらりと話す時間がめちゃくちゃありがたい。

新しく始めたこと

うーん、ないかも。自炊の頻度が増えてフライパンや鍋が増えたくらい。

事前にやって良かったこと

事前にってなんだったっけ。去年の時点でいい椅子買っといてよかったし、捨てるはずだったデスク組み立てて良かったと思った。腰が死ぬところだった。

消費の変化

飲み会も無いので交際費はほぼゼロ。そのかわりおいしいものを求めるようになったのでエンゲル係数は上がっていそうな気配がする。ウインドウショッピングの流れで服や靴を買う機会も減ったし、着る機会もあまりないので服飾系の出費も減っているはず。本は相変わらずポチポチしている。電子書籍で漫画を結構買うようになった感覚がある。コミックセットとか。家計簿をつけるのはとうの昔にやめたので詳細はわからない。

自宅やオフィスに対する価値観に変化があったか

フリーアドレスになったのもあって、建物に対する帰属意識というか、そこが自分の職場だという気持ちがちょっと薄れてきたように思う。フルリモート可の会社が出てきたり、大手でも距離の制限が撤廃されたりして、なんだどこでも働けるじゃないかという気持ちになってきた。家でせっせと仕事していると、なんでここに住んでるんだろ?という気にさえなってくる。変わるときにはあっという間に変化していくのだなという気持ち。

やりたいこと

いまやりたいことを書き出してみた。

  • おなかまと焼き肉に行きたい、BBQでもいい
  • おなかまとビリヤニ食べに行きたい
  • ボンディというカレー屋さんに行きたい
  • ナイルレストランのカレーが食べたい
  • 実家に帰りたい
  • 親兄弟と福岡旅行したい
  • 福岡行きたい、九州のお友達と遊びたい
  • 地元の友だちに会いたい
  • ディルのライブに行きたい
  • EXILEのライブに行きたい
  • 瀬戸内芸術祭行きたい(次はいつ?)
  • ちゃんと化粧してちゃんとした服きて遊びに行きたい(身だしなみをしたいだけ説)
  • 銭湯行きたい
  • カラオケ行きたい
  • ボルダリング行きたい
  • 夜の公園の芝生でおともだちとダベる会をしたい

ほぼコロナ前に当たり前にやってたことだな…カムバック日常…。いつのまにかオリンピックも閉会式が終わったし、どのチャンネルもコロナのニュースばかりだったテレビは平常運転になりつつあるところもある。けれど感染者数は増えるばかりだ。緊急事態宣言が平常になって、買い物に行くのさえ怖くて引きこもっていた頃のことを忘れる。

このコロナ禍から開放された暁にはやりたいことリストを制覇するぞい。

furoshiki.fmというゆるゆる配信をやってます

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気づけば前回のブログが1月のRSGTだった…。最近、いっしー🐱 (@oturu333) | Twitterからお誘いをうけて、ポッドキャストをはじめました。ふたりが気になる話題をつらつら話すゆるいポッドキャストアジャイルとか組織とか、プロダクトとかUIとかそのあたり。

いっしーとの出会いはTwitterで、お互いタイムラインを眺めつつたまにいいねをしていたりしたのだけど、ある日実際に会ってみたい!とナンパし、そこからご飯食べたりするようになった。この前とあるカンファレンスの発表でセッションが前後並びになったりして、不思議なご縁の仲。ロールは違うけれども、アジャイルとか組織への興味が共通の興味範囲なので、軸足は違いつつもこのへんの話をよく話す。

最近周りに配信をしている人が増えてきたのもあって、ゆるくやってみようぜって試行錯誤しながら配信してみてます。今日は過去回をちょっと紹介。(※配信内の発言は個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません)

ep01 楽しいを知りたい

1回目は、ポッドキャストをはじめたきっかけや名前の由来と、自分でも認知していなかった「楽しい」を他者とのやりとりのなかで発見した話。楽しそうにしていることって、意外と自分では認識していなかったりして、人に言われて気づいたよという話をしてます。楽しいこと、パワーがでることが分かれば、効率的に力をそこにかけることもできるかも。

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ep02 ネガティブってなに?

↓のツイートをきっかけに、ネガティブってなんだろう?というのを掘り下げてみた回。「ネガティブ」という言葉に対する理解が違ったり、受け止め方が違ったりして、2人の違いがよく出て面白かった。ちょっとラジオ相談のような雰囲気の回。

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ep03 アジャイルに向いてるってあるの?

相方の@oturu333に、「アジャイルに向いてるってあるの?」という素朴な疑問をぶつけてみた回。アジャイルだけではなく、新しい概念ややり方を組織に導入するとき、誰から巻き込んでいけばいいのか?チェンジマネジメント的側面もある話になりました。

open.spotify.com

最後にトトロのこのシーンの話してる。

www.youtube.com

配信って面白いかもしれない👀

録音はzencastr、編集はGarageBand、配信はAnchorでやってみてる。はじめはツールを探すところからやったので半日くらいかかっちゃったけど、最近では2時間くらいでテーマ決めから配信までできるようになった。Anchorの再生数とか分析のダッシュボードを見つつ、「テーマは明るいほうがいいのかな?」「オチがわかりやすそうなほうがいいのかな」などなど仮説を立てつつやっていて楽しい。2週間毎くらいのペースで配信できたらいいなと思っているので、気になった人はどうぞー。

RSGT2021に行ってきたので個人的に考えたことの備忘録を書いておく

1/6-1/8の3日間、毎年恒例のRegional Scrum Gathering Tokyoに参加した。色々感じたり浮かんできたことがあったので、個人的感想として書き留めておくことにする。個人としての備忘録であり、感想であり、セッションレポートは書きませんm(_ _)m

組織とプロダクトのぜんぶ

セッションに組織の話やプロダクトマネジメントの話が入っているのが印象的だった。Discord内の中で、「だいぶ考えが広がってきてチームでうまくやれることはわかった。けど、売れるプロダクトにするにはどうするのかとか、組織の話とか、そういうことが話せる状況になってきた」という話を聞いた。

2日目のAgile Testingの話が予想以上によかった。ソフトウェアテストの話でしょ...と思っていたのだけど、プロダクトの話だった(語彙力)。ユーザビリティテストやプロトタイプレベルでの仮説検証のテストの位置付けなの話も出てきて、エンジニアだけじゃなくてデザイナーもその品質の一端を担っているんだと背筋が伸びた。品質の例の話をするときに、ユーザーの例として視覚障害の話があったり、アクセシビリティユーザビリティ、UXの話が当たり前のように例に出てくるのに驚いた。例に出すってことは、みんながわかりやすい例えってことでしょう?

組織構造の面では、ネットワーク構造の話もあった。WIADのセッションでも、ツリー構造では情報が表せなくなってきている話があったような気がするのを思い出した。情報がネットワークになって、組織もネットワークになるのか。コンウェイの法則にも関係しそう。

SCRUMMASTER THE BOOKの著者のZuziさんのセッションのなかで、「心理学者や社会学者が最高のスクラムマスターになれる」「文化人類学者の目を持つ」という話があった。知らない組織にスクラムマスターやコーチとして入って行くには文化人類学者が異文化の民族にお邪魔していくように...という観察と傾聴の話だと理解している。他にも色々なソフトスキルが必要なのだけれども、ファシリテーションの能力はOSTでもどう伸ばすかが話題になっていたりして、必要な能力の一部分はUI設計に関わってきたキャリアで積み上げられているかも?と思って聞いていた。

最終日のクロージングキーノートの野中先生のセッションでは、SECIモデルの話でUXみを感じた。左上の象限の「共同化」は、現場に出向いたりして利用者に共感するところ。共感して、直感をぶつけあい、コンテクスをあわせよと。チームの中で、デザイナーやリサーチが貢献できるところじゃないかと熱くなった。

こうやってデザイン方面との繋がりを勝手に紐づけて心の中で結構きゃっきゃしていた。

実験と経験を楽しむ

RSGTの雰囲気が好きなのは、みんなが実験と経験を楽しんで大事にしている感じがするところ。常になにか新しいことを試していて、チャレンジしていて、成功じゃなくて実験やそのなかの工夫のシェアに価値がありそうなところ。挑戦して実験して失敗して経験するぞおおおいという前向きな気持ちになれる。RSGTは新年の気持ちを新たにするイベントといってよい。新年の抱負を考えるイベントのようだ。

不確実性を楽しんでいて、何かが起こってもそこへの適応が早い。その場をいかに楽しむか、面白くするかを考えてるってすごくかっこいいな...と考えていたら、セッションの中でのクネビンフレームワークの説明で、アジャイルは上半分の複雑、煩雑な問題に向いているという話があった。そういうのが好きな人が集まってるんだから、そりゃそうだ!と妙に納得した。

帰りにやる気が湧いてきた。

今年は、去年知らなくてチャレンジできなかったcoachs-clinicの相談に申し込んで相談できた。ひとつ新しいことを試せた。

インターネットとリアルのあいだ

コロナの影響もあり、今年はオンラインとオフラインのハイブリッド開催。リアルとオンライン別々に分かれているような形式なのかと思っていたら、融合していてすごかった!コロナの感染者数が多かったのもあり2日間はオンライン、最終日の昼からの2時間だけオフライン会場に出向いた。オンラインとリアルがスムーズに繋がっている感じがした。特にお気に入りだったのが、Discordの「廊下」というチャンネル。リアル会場の廊下の参加者と、オンラインの廊下で会話が発生したりして、リアルとオンラインがちょっと溶けてる感じがした。Discordのいちチャンネルなのに、廊下って書いてたら廊下っぽいふるまいになって不思議だった。

今日、何をする?

クロージングキーノートの野中先生のセッションのなかで、『過去は、身体記憶としていまに臨在している』という話があって、ハイキューで出てくる台詞を思い出した。

『全国2位が何やねん

どっちでもええわ昨日のことや

“昨日”はもう消化した

たくさんの”昨日”はもう筋肉になっとる

今日 何をする?』

RSGTを筋肉にして今日何をしよ?

2020年のふりかえり

毎年大晦日に書いているふりかえり。2020年の大晦日の今日は実家に帰れないので東京で書いている。昨年のふりかえりはこれ。

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仕事は25日に納めたものの、コロナが心配で香川への帰省は自粛した。毎年仕事が終われば逃げ帰るように新幹線に乗っていたのだが、時間があるので珍しくキッチンやお風呂の換気扇まで大掃除し、ハイキューのアニメを全話見て鬼滅の刃を読破した。毎年ばあちゃんちでやるもちつきには参加できず、弟にLINEで実況中継してもらった。実家から送ってもらったうどんを年越しうどんとして食べて、紅白を片耳で聞きながら書いてる。大晦日感がまったくない。2020年の年始には、こんなことになるなんて想像していなかった。春から徐々に増え始めた新型コロナの影響によって、がらりと生活が変わった1年だった。

生活が変わった2020年

今年一番変わったのが生活だ。2月に参加したCIIDのウィンタースクールの会場だったビルで新型コロナの感染者が出たということで、わたしだけ早めにリモートに切り替わった。それから緊急事態宣言が出て、会社としてもリモート推奨になり、夏までほぼ出社せずに家で仕事をしていた。

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今も週2回物理出社すればいいほうで、ほぼリモート。部屋のレイアウトも変え、椅子やモニタを新調して快適作業スペースが整った。通勤してた時代は仕事モードになるまでに時間がかかったが、なぜか家のほうが仕事への立ち上がりがはやい。それまで朝決まった時間に起きて、満員に近い電車に揺れ、ときに脳貧血で気持ち悪くなって駅のベンチで倒れてる...そんな通勤が嘘だったかのように、余裕ができた。5時間睡眠だった睡眠時間は、6時間以上ちゃんと寝るようになったし、朝ごはんも食べるし、散歩もする。栄養ドリンクに頼ったり、23時に帰ってきてコンビニのごはんを食べることもなくなり、自炊して昼も夜も決まった時間に食べるという超絶健康生活になった。自炊のめんどうさを外出のめんどうさが上回り、引きこもりが加速した。これまで年に何回か風邪を引いていたのだけど、今年はまったく風邪を引いていない。今までの生活に戻れる気がしない。

しごと

今では信じられないけど、1末から2月頭にかけてデンマークウクライナに行っていた。まだ新型コロナが中国で...というレベルで、空港はちょっと怖かったけど、海外出張も禁止されていなかった。ほんとうに運が良かった。そこから幸運なことにも東京で開催されたCIIDのウィンタースクールにも参加でき、デザインに対する考えかたがちょっと変わった。

4月までの1年間でいくつかチームの立ち上げサポートをしたり、草の根活動をした種まきの結果が徐々に出てきた年でもあった。

よいこともあったけど、コロナや諸々の影響で路頭に迷ってしまった。2019年のふりかえりで「社会人人生のなかでも死ぬほどしんどかった」と書いていたけれど、2020年はそれを立て直せず、気持ち的に辛い状況が続いた。10年積み上げたキャリアがすっかり崩れて何もなくなってしまったような感じでめちゃスランプだ。コロナで引きこもってる影響もあるのだろうか。古くからの付き合いの先輩や友達にものすごく迷惑をかけた。こまったけど、生きてるしまた一から積み上げていくしかない。

ハイキューの田中も「ところで平凡な俺よ、下を向いている暇はあるのか」と言っとる。

新しくやったこと

オンラインのつながり

今年は物理開催の勉強会もなくなって、全部がオンラインになった。懇親会で話したり飲みにいったりする機会はなくなったけど、Twitterのつぶやきがきっかけになったりして、春からいくつか勉強会やDiscordをはじめた。ふりかえってみると、5、6月から休まず継続していて意外とちゃんとやってた。

しろくま

情報アーキテクチャ第4版を読んでナビゲーションを極めるぞいとつぶやいていたTwitter友達と、3人で輪読会を始めた。負荷のかからないペースでと、毎週1時間ずつ読み進めて、年内に第4版を読み切った。3人の所属も違うし、職域がちょっとずつ違っていたので、それぞれの経験や意見交換するのもとても有意義だった。半年間しかやっていないのに、いつの間にか共通のコンテンツで盛り上がったり、他の勉強会の実況中継をしあったり、夜の公園の芝生にブルーシートを広げてきゃっきゃしたり、キャリアの話をするまでになった。この歳になって友達ができた、とても不思議でとても貴重だ。IA本から3人の共通のテーマで書籍を変え、今はプロダクトマネジメント本を読み進めてる。

りあくと勉強会

いい加減コードを触らないと手が錆び付くなと思っていたら、これもTwitterで一緒に勉強してくれる仲間が見つかり、りあクト!本の輪読と写経からはじめた。本を終えたらRealWorldの実装をしてみたりして、少しでもコードに触る時間を増やすことができた。これも毎週1.5〜2時間ずつやっていて、気づけば35回を達成した。ReactもTSもひとりでは心配な状態から、ある程度あたりがつくようになって、仕事でいきなり書くことになっても速度は遅いけど戸惑わずに向かえるようになったと思う。ぐっじょぶ。

ドメインモデリングやる会

ドメインモデルからUI設計と開発に向かえるのが理想ではないのかという仮説のもと、モデリング勉強したいなと思ってこれもTwitterで繋がってた3人ではじめた。3人とも素人なので一緒に設計本の輪読をして、あーだこーだ言いながら概念のモデリングというものをこねこねしている。5月からはじめて、隔週でいままで続いている。来年は有識者に相談したいなというお気持ち。

デザインとスクラムがなかよくする会

アジャイルコーチの知り合いと、デザインとアジャイルの領域の重なりについて話そうとしていて、他にも話したそうな人はいないかとツイートをしたら、自分が思った以上に反応があった。ビビりながらもDiscordで興味のありそうな知り合いを集めてこぢんまり情報交換をはじめた。ロールに関わらず参加してくれていて視点が色々で面白い。これは月1でゆるゆると雑談会をやっている。はじめは、現場での工夫とか困りごとを共有できたらいいなと思っていたのだけど、いざ話し始めてみると組織の話や対立の話に流れていくことが多かったように思う。

そのほか、いろんな勉強会がオンラインで開催されているので、ご飯食べながらとか物理出社の帰りに聞くとか、気軽に参加できてよかった。

文章を書いたり読んだりすること

昨年挑戦したHCDのインタビュー記事を今年も書いた。アポ取りからインタビュー、書き起こしの発注など書くことの前の段階にも挑戦した。昨年は文章を書くことの右も左も分かっておらず、編集部の方に大幅にリライトいただいたのだけれど、今年は昨年よりはうまくできた(と思う)。想いを持って設計している人たちがいるんだぞ、ということを少しでも世に出せればいいなと思っている。

今年は本の原稿を2本読ませていただくという貴重な経験もした。とても勉強になったし刺激になった。そのうちの1冊は発売されて、ちょうどクリスマスに届いたので、冬休みに読む宿題だ。

コ・デザイン

コ・デザイン

2021年の妄想

今日は東京のコロナ感染者が1300人を超えた。ばあちゃんはどちらも健在で、97歳と93歳だし、親兄弟も特に大きな病気をせず元気だし。当たり前のことのように思えていたけど、それは当たり前じゃなくて、そういうことがありがたい。

来年は後厄だからきっと浮上できるはず(もういい加減浮上したい)。しなやかに、自分らしさを見失わず、調子よくごきげんに生きることを目標に。今年新しくできたオンラインの繋がりは継続していきたい。

今年色々お話してくれたひとたち、本当にありがとうございました。また、らいねん遊んでくれたらうれしいな。

わたしがどうやって今のわたしになったか、ポエム的むかしばなし(前編)

昨日、インターネット老人会っぽい話を聞いたら影響されてしまい、去年から書いていたポエムを公開しようと思い立ちました。このあたりのツイートがきっかけです。

インターネットと出会った時代から現在まで、約20年間、ちょっと長い自分語りです。前半は、学生時代からどう技術とデザインに関する考え方を築いてきたか、後半は社会人になってどういうキャリアを歩んできたかを書いてみます。たまにドヤっています。

ハローインターネット

2018年の年末にNHKで放送された「平成ネット史」で紹介された「インターネット」が始まった時代。わたしの父親は機械系高校の出身で、なんだかんだ機械をいじるのが好きだったものだから、小学生の頃から家に「パソコン」がありました。タバコのヤニで壁が黄ばんだ部屋に、デスクトップ一式。土日になると、富士通バザールでござーるの旗が並ぶパソコンコーナーに父と一緒に通っては、見本として並んでいるパソコンのチュートリアルやタイピングソフトで遊んだりしていました。

中学時代、仲の良い友達のお父さんもパソコンが大好きで、その影響か友達はHTMLを書いてホームページというのを作っていました。ホームページの「もと」を見せてもらったものの、それはものすごく難しそうで、尻込みをしたのを今でも覚えています。友達の家は歩いて50メートルほどの場所にあってよく通っていたので、彼女と遊んでいるうちにわたしは簡単なマークアップだったらできるようになっていきました。「サンドイッチみたくはさんだら、できるんだよ!」そうやってマークアップを覚えました。それからというもの、学校の帰りに本屋さんに寄ってはHTMLの本を読み漁り、「画像を表示するにはimgと書けばいいらしい」とHTMLタグを1個ずつ覚えてはダッシュで家に帰り、忘れないうちにホームページをいじっていたのでした(小遣いもなく高価で技術書を買えなかったのです...本屋さんごめんなさい)。

その頃、23時以降のテレホーダイと呼ばれる時間だけ、インターネットを使わせてもらえました。ダイヤルアップでチリチリと鳴る黒電話を取ろうとする母親を「電話ちゃうけん!」と静止し、夕方にせっせと作ったソースコードffftpで公開したり、KENT WEBで配布していたcgiをいじって設置した掲示板やチャットで好きな小説やアーティストの話をしていました。cgiを設置する際に設定する775とは一体何なのか、パーミッションの設定に四苦八苦した記憶があります。わたしが作ったホームページの名前は、「仮想空間」。描いた絵を公開したり、詩や小説、HTML講座なんかも書いていました。

インターネットで繋がった世界には、アーティストや小説など、その頃の私が好きなものと同じものを好きなひとたちがたくさんいて、メル友が何人かできました。香川のど田舎では、ライブになんか行けないから、東京や埼玉の顔も見たこともないメル友にポスターを買ってもらったりしました。掲示板で出会ったおねいさん方と分担してストーリー分岐型のゲームのようなものを作ったりもしました。現実では、スクールカーストの下の方にいたいじめられっこのわたしも、23時からログインできるその仮想空間ではのびのび遊べました。そこは、友達がたくさんいる遊び場でした。

Kyushu Institute of Design

絵を描くのが大好きで、中学も高校も部活は美術部にいました。高校進学の際には県内の工芸高校(公立の美術系の勉強ができる高校)を志望したのだけれど、すこしだけ勉強ができたので「勉強を捨てるなんて勿体無い」と親から結構な勢いで反対され、担任との面談時の反抗も虚しく進学校へ進むことになりました。あまりに反抗したものだから、高校の入学式の際に母親から「嫌な高校に入学することになってごめんなさい」という内容が書かれた手書きの手紙がきました。

ある日、県の絵画コンクールに出展したら、個人で美術館を運営している方から絵を売って欲しいと連絡があり、はじめて自分の絵が売れました。今考えれば、描くのにかけた時間にも満たない金額でしたが、美術系に進みたかった自分にはめちゃくちゃ嬉しかったです。そのころ、例に漏れず結構厨二だったものだから、自分の存在は透明に近いけど、描いた絵だけは認められて、肉体が死んでも生きてた証が世にあるなとか考えていました。とんだ画家気取りです。

少し天狗になっていたのもあり、大学こそと藝大を目指しますが、案の定ここでも「芸術は儲からないから」と、また反対されるのでした。親の勧めは経済学部に行って税理士になるとか、理系だから薬学部に、などでした。長い間そろばんをやっていて、海外の交流大会に出ていたりもしていたので、わけもわからないまま、将来なりたい職業に税理士をあげていた時代もありました。周りの友達は薬学志望が多かったので、試しに薬学部の説明会に行ったらものすごくつまらなくて、一瞬で寝落ちてしまい自分には薬学は向いていないと悟りました。

その頃好きだった教科は数学と物理と英語と美術。物理実験室に通っては、物理の先生とおしゃべりをするのが日課でした。そこで偶然、国立理系(勉強も捨てない)だけど、芸術もやる大学を出たOBのおねいさんがいると先生から教えてもらえました。そこだったらいいんじゃない?電話かけてみたら?と先生に推されるまま、高校3年生が、同窓というだけで東京で働く見ず知らずのおねいさんに電話でアタックをかけ、その後長期休みで香川まで帰ってきているタイミングで高松まで会いに行ったのです。

そこで「芸術工学」という分野と出会います。芸術という名前がついているけれど、なぜかある程度の学力が必要な大学もあって、文句を言われず芸術系に行けそうな望みがありました。そうやって、日本じゅうの芸術工学部を志望校に入れ、パンフレットを取り寄せた大学の中でも、私の目に抜群にかっこよく映ったのが九州芸術工科大学でした。

しかし模試の評価はずっとD判定。センター試験の結果もふるわず。二次試験は数ⅢCと英語、デッサン、色面構成でした。このままでは地元の大学に行かされて、OLをして寿退社とかいうルートに乗ってしまう!これではここで人生終わりだ!と思い(本当にそう思っていた)ながら、必死に予備校に通いました。いざ福岡の受験では手応えがなく、九州に来ることはもうないだろうから記念だとひよこのキーホルダーを買って帰りました。ところが!自宅に届いた合格発表の通知の書面には私の受験番号が...!ほんとうに小指が一本だけひかかったくらいのギリギリで、九州芸術工科大学で晴れて「デザイン」を勉強できるようになりました。(ひよこのキーホルダーは、福岡土産としてばあちゃんにあげました。) わたしの人生の中で、九州芸術工科大学への合格が、一番の成功体験かもしれません。

Art and Information Design

大学には、芸術と工学の融合がデザインであるという、それまで知らなかった世界線がありました。九州芸術工科大学は、1968年に日本で初めて芸術工学という分野を掲げた国立の単科大学です。科学技術と人間の最も自由な発現である芸術を融合させた学問分野を目指し、「技術の人間化」をかかげ、技術を人のために活かす理念が流れていました。人間が技術を賢く利用することによって、より幸せな生活を送るために。人間を中心としたこの考えに、わたしは大変影響を受けました。

この学校には、工業設計、環境設計、音響設計、画像設計、芸術情報設計という、5つの領域が異なる設計学科がありました。本当は画像設計学科(グラフィックデザインが中心の学科)に進みたかったのですが、センター試験の点数が足りなかったわたしは芸術情報設計学科に進みました。英語での名称は、Art and Information Design。いまふりかえると、ソフトウェアデザインに通じるところがあります。芸術工学の概念から文化人類学、色彩学から符号化理論まで、デザインに関わるものから工学まで、幅広い授業がありました。幅広い分野は学んだけれど、これがどう繋がってなんの役に立つのか...工学の分野では工学部に劣るし、デザイン分野では美大に劣るのではないか、学生間では器用貧乏さがよく話題にされていました。

今考えれば、文化人類学のアプローチはユーザーリサーチのベースになるし、実際に技術を利用するにはその技術の成り立ちを知っておく必要があります。のちに学科のWebページを作ったのですが、その際のコンセプトは「未来のダビンチを目指して」でした。レオナルド・ダ・ヴィンチは画家として知られているけれど、建築や数学、幾何学、解剖学など様々な分野で業績を残しています。彼の絵画のリアルで美しい人物表現の裏には、解剖学からの人間の肉体への理解があります。それと同じように、技術を人間のために使うには、技術と人間の理解が必要だったのです。ファッションデザイナーが、素材を理解するように。ちゃんとそのことに気づくのに、結構な時間がかかりました。

はじめてのチーム

大学の課外活動には、照明演出や音響専門のサークル、ライブの記録映像を撮るサークルなど、とにかく専門的なサークルがたくさんありました。特に、学園祭に命をかけるような文化があり、サークルに加えて学園祭の企画に入って1年を通して活動をする人が多かったです。学園祭は3日間+前夜祭。テントの店を出す学園祭というよりは、文化祭に近く、ライブパフォーマンスや空間演出企画、ファッションショーやクラブっぽい企画まで複数の企画団体があり、工業デザインから建築/環境系のデザイン、グラフィックを専門領域とする各学科のメンバーが集まってきていました。

また、文化祭の最終日には「火祭り」と呼ばれる儀式がありました。背丈より高く木材を組んでできた火柱を囲み、テンポの速い太鼓の音に合わせて踊るのです。聞くところによると、大学の設立時、文化人類学の教授が、歴史の浅い大学だからこそ何か強いつながりができる儀式をと考案したものだと聞いたことがあります。

学園祭企画は、芸術工学という思想と同じ文化を共有した、各COE組織のメンバーからなる職能横断型チームのようでした。企画団体の組織は、企画のコンセプトの判断など、トップを務める「頭」と、映像班、美術班、音響班、広報など、その企画に必要な組織で構成されていました。それぞれの分野にも映像頭のような責任者がおり、横の組織と連携しながらひとつの企画を成功させるために有機的に動いていました。あるとき、私が所属していた企画の頭が「頭は実際に手を動かしてはならない。それだと各班で起こっていることが見えなくなって、不測の事態に対応できなくなってしまう。」と言っていたのが印象的でした。大学生ながらに、プロジェクトマネジメントとチームマネジメントをやっていたのです。

その頃のわたしは、インターネットのことを忘れて、グラフィックデザインや映像制作にのめり込んでいました。学園祭では、映像系のひととして、ライブの保存映像の撮影をしたり、演出映像の仕込みをしたりしていました。パンフレット制作の企画にも所属しており、「誰だこの文字詰めをしていない原稿は!」と先輩に怒られたりしながら、制作に関することを覚えました。学園祭企画はとても刺激的でした。同じ目的を共有し、様々な専門のメンバーが協力することによって、いち足すいちが「に」ではなく、それ以上のものが出来上がる・・・ここでの経験が、わたしがチームでのものづくりを信じる原体験になっています。もういちど、あのチームと同じようなものづくりがしたいと思いながら、日々働いています。

Rich Internet Application

就職活動か大学院進学かを考えなければいけないという頃、Webクリエイティブやインスタレーションが百花繚乱で、その頃の憧れはもっぱらWEB広告企業のクリエイター達でした。例に漏れず、中村勇吾さんがヒーローだったし、カンヌライオンを取るようなWEBの広告クリエイティブに憧れました。広告批評や、WebDesigning、Web creators など、図書館に入り浸っては広告系やWeb系の雑誌を読みふけりました。

かっこいいFlashコンテンツはグラフィカルなプログラミングができないと作れない。しかしそこにどう手をかけていいかもわからない...。漠然とWebクリエィティブに憧れたわたしは、とある大手企業のインターンシップFlashのテーマがあるのを見つけ、2週間のインターンシップに参加することにしました。そのテーマは、RIA(リッチインターネットアプリケーション)開発。Flashコンテンツとアプリケーションの違いも、オブジェクト指向プログラミングさえも知らない私は、ここでFlexを使ったGUIプログラミングに出会います。

インターンシップは、R&Dで実際に検討しているテーマを題材に要件定義から詳細設計、開発、テストの流れをひととおり体験するという流れでした。mxmlの書き方から、ボタンを押したらアラートを出す練習なんかをしました。今では笑っちゃうくらいですが、「クラスってなんですか!」なんて基礎中の基礎を指導員のかたに長々と質問し、ノートはメモでびっしり。よくもこのレベルの話に根気強く付き合ってくれたなと頭が上がりません。

インターンシップの1週目を終え、週末の宿題にとRIAコンソーシアムがまとめた冊子「RIAシステム 構築ガイド Essential 2007」をもらいました。冊子を開くと、「誰のためになぜシステムを作るのか」本質的なことがたくさん書かれていて、つい熱中してしまって一気に読んでしまいました。マネジメント手法こそウォーターフォールでしたが、Jesse James Garrettの5段階のモデルや、フロントとバックでどう連携して設計や開発を進めるか、開発フローへの言及もありました。Flexでのアプリケーション開発と、RIA開発の思想に魅せられ、きゃっきゃ走り回っているうちに、2週間があっという間に過ぎて行きました。「ああこの入館証がないとここにはもう入れないんだな」と寂しい気持ちでインターン先を後にしたのでした。

インターンシップに参加した際、Webクリエイティブに憧れる一方、mixiにのめり込みインターネットで使えるサービスにも興味が出てきたわたしは、ICT教育を専門にする研究室に所属し、卒業研究としてスライドをオンライン上で複数人で編集するアプリケーションを開発しようとしていました。静的なHTMLではボタンを配置するのが限界で、GUIの難しさに頭を抱えていたため、ぬるっと動くインタラクションが表現できるFlexはあまりにも衝撃的過ぎて、その後学割でFlex Builderを購入しました。

広告か、道具か、それが分かれ道だ

大学生活が楽しくて、映像やグラフィックなど色々やったけれど、何を仕事にするか迷っていた私でしたが、webなら映像やグラフィック、すべての要素が詰まっているのではないかと思い、新卒での就職活動は広告系やWEB制作会社を中心に受けました。RIAのインターンがあまりにも楽しかったのもあり、インターン先の企業も受けました。ただ、あのRIAのチームに入れないなら別の会社に行く、と人事に啖呵を切って専門コースの面接を受け(ぺーぺーの学生が、大企業によくもそこまで言えたものです...)、RIAがやれることを前提に内定をいただきました。他にもうひとつ、広告系のWEB制作会社でデザイナーをする道もあり、当時インターン先の指導員だったお姉さんエンジニアにかなり相談に乗ってもらいました。

「ひろみつには、広告系クリエイティブのWEB制作が向いているような気がするよ?後悔しても知らないよ?」 「大丈夫です!逆に今の会社で嫌なところってないんですか?」 「うーん、給料が安いくらいかな」 「それだけ?他は?」 「ないよ」 「じゃあ問題ないですね!!!」

お姉さんエンジニアの心配をよそに、たとえ後悔してもその時方向転換すれば良いのみ!と腹をくくって、エンジニアとして歩む道を決意したのでした。エンジニアがゴールではありませんでした。その頃なりたかったのは、技術と企画の橋渡しができるジェネラリストと言っていました。mixiブクログのようなインターネットのサービスを作ってみたいけれど、企画しようにも技術がわからず何ができるのか分からないし、そんなの絵に描いた餅だ。新卒カードを使ってでも、研修でプログラミングをモノにしてやろう、あとで技術からデザイナーや企画系に変わればいいんだという目論みがありました。

今思えば、似た技術を使っていたとしても、WEB制作会社が制作していた華やかなキャンペーン系WEBと業務RIAは少し違う領域でした。制作会社の「デザイナー」になるのか、業務RIAの「RIAアーキテクト」になるのかの天秤だったのです。言い換えれば、消費を後押しするデザインをするか、道具のデザインをするかの分かれ道でした。一方、Webのことは大好きだけれど、ユーザーに何かを提供したいと思ったとき、Webに手段が限られない場所がいい。紙媒体やディスプレイ、イベントでもいい、手段ドリブンではなく、目的に沿って手段を選べる企画ができるのがいい。そうやって、その先10年近く籍を置くことになる会社を選びました。

ハロー Java!!

晴れて入社できた私を、1年半のエンジニアリングのOJTが待ち受けていました。私が入った部門の新人は、システム開発の基礎として、1年ほどかけてJavaでのアプリケーション開発をOJTでみっちり叩き込まれる教育方針でした。このタイミングを逃したらエンジニアとして基礎からできるなんてきっとない!とかなり前向きだったのですが、周りに工学や機械系出身のJava経験者が多かったこともあり、バキバキに心が折れながら修行する毎日が続きました。先輩RIAアーキテクトに、「RIAやりたいって来てるらしいけど、flexもプログラムだからね。プログラムできないとただのデザイナーだよ。」などと煽られる(いま考えるとただのデザイナーという物言いもひどい)など、本当に意識だけ高くてぽんこつな新人時代でした。それでも、技術とデザインを繋いだものづくりをするんだという謎の使命感だけは燃え尽きず、先輩エンジニアが電車内での勉強のために分厚い技術書を3枚おろしにして毎日持ち歩いていると聞けば真似をして高い技術書を切り刻んでみたり(あとで先生に見つかって、本を粗末にするなと怒られました)、先生から本には線をひきながら読みなさいと言われれば愚直に本を線とメモだらけにしていました。「実力が伴わない主張ばかりせずに今はスキルと知識を身につけるんだ」そうやって自戒しながら。

研修では、言語特性を知るためのJavaでのコードゴルフ的なものから、UMLの図の書き方、ドメインモデリングユースケース記述、実装、O/Rマッピング単体テスト結合テストまで、ありとあらゆるエンジニアリングの基礎を叩き込まれていきました。それまで私がプログラミングと思っていたものはほんの針をついた一部分でしかなく、エンジニアリングとは、システムづくりとはこうも広く奥深いものなのかと知りました。

当時、いちばん教育に心配な新人を講師の隣にするという暗黙のルールがあり、私がその席でした。10年経ってから、久々に講師陣と話をした際に「あのときは質問に返答してもいまいちわかってない顔をしていて、こいつは駄目だなと思ったものだけども、数年経ったら当時優秀だったメンバーよりもひろみつ氏のほうが伸びていた。大事なのはその時のスキルじゃなくて熱量だ、自分の教育の感覚を見直さなきゃと思った。」と言われとても嬉しかったです。

Javaは辛かったけど、この研修がなければ私はエンジニアとして立ち上がれなかったと思います。Javaの先生からは、「技術書は自分のお金で買って線を引きながら読むべし」「行き着くところは宗派」なんて教えられていました。今では、技術書を買って読むことが習慣になり、エンジニアリングもデザインも、行き着くところは宗派で、どんな思想を信じて世界を構築するかの話になると思っています。

RIAの本質だとわたしが思うこと

今更、元カレを忘れられないような引きずり方ですが、ここでちょっと脱線してRIAの昔話をします。今では死に絶えた「RIA(Rich Internet Application)」と呼ばれた技術ですが、むしろ今では表現力が上がり、すべてがリッチです。

当時静的なWebでは表現しきれなかった、動的な、画面へ表現力を与えるものがRIAでした。OSネイティブのソフトウェアと比べ、Webシステムでは入力のたびにページ遷移して動作がもたついたりして、Web上でアプリケーションを実装するには表現力が低い時代があったのです...。主にクライアント側の機能を強化し、OSネイティブと同等の操作感、表現力を備えることを目指していました。当時、Adobe FlexAIR, Microsoft SilverlightAjaxなどがRIA技術とされていました。ご存知のとおり、Flashが終焉を迎えたことによって、ブラウザにプラグインを入れるリッチコンテンツの実行環境は軒並み下火になりました。Silverlightは2021年、Flash Playerは2020年にサポートが終了します。

技術スタックも好きでしたが、私が気に入っていたのは特徴とその思想でした。それまで主流だったインストール型の業務系アプリケーションは、アップデートの度にインストーラーを配布してインストールを促さないといけませんでした。それでは業務上の実行環境を揃えることが難しいため、配布と更新が容易なことがRIAの特徴にあげられていました。それと、複数のプラットフォームに対応していること、表現力の高いUIが構築できることが特徴でした。Webブラウザさえ入っていれば、誰でも同じアプリケーションを使って仕事ができて、常に新しい環境を使うことができ、操作性もOSネイティブと同等。いまのSaaSでは当たり前だけど、それが次世代と呼ばれ、価値ある時代があったのです。

前に紹介した、「RIAシステム 構築ガイド Essential 2007」の1ページ目のタイトルには、「全てはユーザーのために。技術はますます多様化するけれど、ユーザー中心設計は不動の中核」とあります。人間とシステムの関係やユーザビリティが重要視され、利用の体験はXPと呼ばれていました。

情報処理技術の発達によって、正確さや処理速度の分野が向上していくことは、もはや当たり前です。残された課題は、操作する人間に近い部分だけとさえ言えます。どんな高度な処理が高速に行える環境が作れたとしても、それを操作する人間のリテラシーが追いつかなかったり、誤操作を招くインターフェースであっては、意味がありません。(RIAシステム 構築ガイド Essential 2007)

これらのRIAシステムは単に見栄えを良くしたものではないということです。...(中略)...企業が投資する「システム」とは、「ハードウェアとソフトウェアの塊」ではなく、操作する人間も含めた全体像だとする考え方が広まっていったのです。それが、「ユーザビリティ」という言葉であり、それを積極的に考慮した設計・開発を行おうとしているものが、結果的に「RIA」と呼ばれるものになっているのです。(RIAシステム 構築ガイド Essential 2007)

このようにRIAの開発ではエンジニアがデザインを理解し、デザイナーがプログラムを理解することが求められてきています。...(中略)...お互いの領域を完璧に習得することは不可能ですが、同じ基礎知識の上に立つことができれば、エンジニアとデザイナーが共通の認識、共通の言語で会話ができるようになります。また逆にエンジニアとデザイナーがお互いのスキルセットの違いを認識することもできます。デザイナーとエンジニアが刺激しあい、足りない部分を補い合いながら成長していけるようなチームになることができれば、こんな素晴らしいことはないでしょう。(RIAシステム 構築ガイド Essential2)

読み返すと、技術は変われど、今のWebアプリケーション開発と同じようなことが語られているような気がしてきます。Javaシステム開発の概要を知ったわたしはその後めでたく憧れのチームに入り、フロントエンド、UI設計、HCD、アジャイル...と旅を続けるのですが、結局必要な領域を約10年かけてゆっくり一個ずつ集めていっただけなのかもしれません。3年くらいでたどり着きたかった。。。

うーん、そろそろ長くなってきました。続きはまたこんど後編で。

ある日のわたしとユニコーン

※ 新型コロナが流行る前に海外に行ったときのぽえむ供養です。

ウクライナのカフェでユニコーンと会うイラスト

わたしのキャリアが10年を越えたくらいのある日、海外のソフトウェア開発チームと仕事をする機会に恵まれた。ビジネスアナリストからアーキテクト、UXデザイナーまでが揃っているアジャイルスクラムなんて当たり前のクロスファンクショナルチームと。

サービスの設計も中盤に差し掛かかり、これからやることの焦点を絞ろうとしたあるとき、日本チーム内の誰かが、海外チームのUXデザイナーについて言った。

「彼がやってるのはサービスデザインだから、フィニッシュワークなんて頼めないよ。」

何かすれ違っているのかも…。念のため彼にデザイナーとしての責務の範囲を聞いてみると、もちろんフィニッシュワークまでやるし、HTMLプロトタイプまでなら自分が作ってしまう、ということだった。そのあと一緒にやったユーザビリティテストの設計や半構造化インタビューはとても柔軟で、嘘をついているようには見えなかった。向こうの大学でも教えていたりするらしい。嗚呼!このひとはユニコーンかもしれない!

「日本ではそういうデザイナーのことをユニコーンと呼ぶんだ。めったにお目にかかれないからなんだけど...あなたはまさにユニコーンだね。」というわたしに、「そんなことを言ったら、うちのUXデザインチームはみんなユニコーンだよ!」と笑われた。

どういう巡り合わせか、そのあと彼らの国のオフィスに行く機会に恵まれ、年に2回しかないという全ブランチのオフィスにいるUXデザイナーが集まるmeet upに混ぜてもらえた。新型のコロナウイルスがにわかに騒がれるなか、カウンターの隅でりんごジュースを啜るどう見てもアジアから来たわたしに、地球の裏側はどんな様子?と興味深く話しかけてくれた。自己紹介をすると、「きみも黒い服だね。デザイナーが黒い服を着がちなのは世界共通なのかも!」と盛り上がったのが、受け入れてもらえたようでとても嬉しかった。

彼の同僚は、日本でワークショップをした際になかなか意見が出ずに困ったのだという。日本のひとはシャイなのかな?どうやって日本のチームではファシリテーションをしているの?と聞かれたので、気をつけてることなんかを話した。彼らの文化のなかでは、ワークショップの参加者は前のめりで、静かにしてもらう方が大変なんだとか言っていた。同じフレームワークでも、背景や文化が違えば工夫が違った。慣れない英語で、もっと深淵に潜れないことが悔しいほどに、聞いてみたいこと、議論してみたいことが後から後からたくさん溢れてきた。所属ではなく、チームの中で果たしている責務で自分を語ることができれば、たとえ地球の裏側でも、同じ話題で繋がれた。専門性は国と言語を越えるんだと思った。

自分たちのUXデザインチームのメンバーは、それぞれ異なる"Super power" を持っている。あるメンバーはプロダクトデザインが得意だし、彼女なんかは全領域をカバーしてるんだとその場のメンバーを紹介してくれた。C#をはじめ、JavaPythonなど様々な言語を使いこなしていたエンジニア出身のUXデザイナーもいた。エンジニアをやるうちにデザインのことが気になりはじめ、マネージャーと相談してUXデザイナーに転向したのだという。はじめて会ったのに、もちろんきみも"Super power" を持っているはずだとも言ってくれた。

彼らのチームは、専門領域からみても、チームの視点から見ても、謙虚さと尊敬と信頼があって、透明性が高かった。こういうコミュニティは彼らの国でも少なくて、そんな環境で働けている自分はとても幸せだ、いつか自分もそういうコミュニティを作るんだと話してくれた。「ここはユニコーンの村だね!」と話し込むうちに、いつの間にか時計は24時を回っていた。

明日は日本に帰らなければいけない。後ろ髪を引かれつつも帰りの挨拶に回るわたしに、「会えて嬉しかった。ここでの出会いは、きみのデザイナー人生の中できっと貴重な経験になり、きみを助けるだろう。お互い成長しようね。」と丁寧な激励の言葉をくれた。みんなとぎゅっとハグをして、薄暗い深夜のカフェを後にした。

ちょっとだけ、理想のチームを覗けた気がした。価値観はきっと、人との関わりからもできていく。お互いが影響を及ぼしながら少しづつ輪郭がはっきりしてくる。いつか、また彼らとデザインとテクノロジーの話がしたい。