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林檎ジュース 感情を 押し流して

この前、先輩に借りたkannivalismのボーカル怜が書いた『鬱病ロッカー』をさっき一気に読んだ。明日花見なのに。

共感できる個所がいくつもあって、勇気づけられるところもあって、ティッシュ片手に止まらず読んだ。「暗い」だの、毛嫌いされるV系の歌詞だけど、happyな歌より、失恋とか挫折とかより、もっと奥の底の方、そこから見える景色を歌う人って少ないと思う(意図的にそういう歌詞にしているのは除く)。確かにhappyな歌は元気になれる。でも、底から見た景色でしか勇気づけられることのない形のはっきりしない感情もあると思う。

感情を伴った表現は説得力がある。強がったり、人を傷つけて自分を守ったり、逃げることは、苦しみと向き合うより簡単。苦しくてもそれを隠して、強く進んでいる人は確かに強くて魅力的だ。でも、苦しみに向き合い、前に進もうと必死にもがいて自分を他人にさらけ出すことは、どんだけリスキーで勇気がいることか。

この本を読んで、苦しみながらも表現に貪欲で、歌に命をかけてる怜を表現者として尊敬できると思った。

忙しいかったからというのもあるけど、絵が「好き」じゃないと絵を描いちゃいけないんじゃないかと思って描くのをやめてたのを思い出した。描くことは感情を吐き出す表現手段だったと。好きとか職に向いてないとかじゃなくて、表現手段だったんだと。心が不安定なとき描きたい絵が明確にイメージできて、寝るのを忘れるくらい集中したのはやっぱりいい絵だったもの。

多感だった中・高に詩や小説が次から次へと浮かんだのを思えば、感情に馬鹿に素直なのも、悪くないなと思うのです。


実感を伴った言葉って、プレゼンにも通じるよね。
どんだけいいこと言ってても、うすっぺらじゃ届かない。