2月4日(土)に開催された、内閣官房国土強靱化推進室主催の『国土強靱化ワークショップ(第4回)』に縁あってファシグラ担当として参加してきました。
「国土強靭化」っていう言葉、全然知らなかった。災害時に国だけの力だと限界がある。だからこそ『災害に備えて普段からできることを考え実行することで、強く、しなやかに支えあい、助け合える』ことを目的とするプロジェクトらしいです。
災害現場では何が起こっているか
話題提供として、防衛医科大学の秋冨先生から、災害現場の非常にリアルなお話がありました。福知山線の脱線事故や、福島県沖地震の現場の最前線の本当にリアルでシビアなお話を、丁寧に、時には場を和ませる話題も挟みながら。ああ、賢く優しい方ってこういう人なんだなぁという印象を受けました。
資源と対象の需要と供給のバランスがくずれたら、それはもう災害なのだそうです。
現場では、足が痛いから自分から運んでくれ!と訴える人もいる。けど、真に助けなければいけない人は、そんな声さえも出せない人で「声なき声」を探すことが大切なのだと。2割は隠れてて見えないんだって。トリアージと言っても、救急がこなくても「動かない人は赤」「声が出せるけど動けない人は黄」「動ける人は緑」くらいで判断してくれているだけでも助かるという話があったと思う。
災害が起きたら、自助7割、共助2割、公助1割と言われているのだとか。ボランティアのために現地入りを、と人を受け入れてしまうと、その間を縫って犯罪者が入ってしまうし、被災者根性が身についてしまう。だからまずは自分たちでなんとかする、という方針にしていたとか。
混乱した避難場所では、性犯罪も起きてしまうという話もあった。だから自費で防犯ブザーを配られたそうです。トイレの導線を別にするだけでも、性犯罪が減るということも初めて知った。
いち参加者として感じたこと
『いくらがんばっても、現場は最悪でしかない』『助けても助けなくても不幸』という先生の言葉が印象的でした。 福知山線の事故で、奇跡的に助けられた方が、プールでのリハビリの際に「こんなの嫌だ、私を殺して」と叫びながら歩いているのを聞いて、『僕は本当に助けたのか?』人命救助はしたけど、人生救助はしてないんじゃないかと思ったとか。福島の地震の際に避難所を訪れた際には、精神疾患のお子さんを持つお母さんが、人の目を気にするあまり人の目につかない奥の隅の方で、不安で叫ぶお子さんの口を塞ぎながら自身も涙を流していた、声なき声を探すと言って僕は何をしていたのかと、先生の話に現場が見えるようだった。
私自身、血が苦手で、病室のチューブでさえまともに見ることができない。あまりにも共感してしまうため災害現場の映像なんかは苦しくて見れないことが多い。こんな機会がなければ、なかなか考えることもなかった。福島の地震が起こった時、募金や物資をを送る人たちを見て、人を助けるために自分は何もしていないと、ものすごくプレッシャーに感じていたのを覚えている。自助7割という話を聞いて、ああ、まずは自分と自分の大切な人を守るためにできることをやればいいのだと、楽に考えることができた。
後半のワークでは、「自分と自分の大切な人」を守るために何ができるかを考えた。私のチームの方が、災害となると食料の備蓄が大切と言われるけど、「精神的ストレスの備蓄」も大切なのだと言ってたのが目からウロコだった。逃げる時、「早く!そんなもの置いていきなさい!」ってなることが多いけど、ぬいぐるみとか、好きなアーティストの写真とか、好きな香りとか、ストレスに対応できるものも必要なんだって。ご遺体の匂いが充満するなか、いつもの匂いがあるだけでもおちつけるのだとか。そういえば、見知らぬ土地に引っ越したとき、長年使った自分の布団があっただけでも落ち着いたっけ。
各チームが発表したあと、最後に先生が「今日ここに来て、避難経路は見ましたか?」と言われたときにハッとした。口ではこうします、ああしますって書いてもきっと自分は明日からまた意識が薄れてしまうだろう。行動に移すには、本当に身近で小さなことからやんないと身につかないなと。私の母は、カバンに笛(体育のときに先生が吹くようなやつ)をいつも入れている。どこか、事故で閉じ込められてしまったとき、話せないことだってある、自分の体力では叫ぶと体力を消耗してしまう。笛なら、助けを呼べるだろうと思うからと。そういう小さな意識と備えが大事なのだなと思えた。
「1人の知識で多くの人を守れる、まずはこの意識」という言葉にも救われた。すぐに何もできなくても、トイレの導線とか、トリアージとか、ちょっとした知識が入っただけでも、誰かを救うことができる。まずは、知ることからでも意味がある。
ファシグラに入ってどうだったか
グラレコもままならない私でしたが、縁あって声をかけていただき、すごくいい経験になり大変ありがたかったです。
参加者の方々の意見を聞き、描きとめながらチームの雰囲気を察知し場に介入するという、レコーディングとファシリテーションという2つのことを同時にやる難しさをものすごく実感しました。あとになって、もっと参加者のみなさんにも道具を活用して書いてもらえば参加している感がもっと出たかも、とか、いきなり模造紙に描き出さずにふせんでキーワードを出したあとにまとめたほうがよかったなとか、”もっとうまくいく”ための反省点はつきません。自分で全部やろうとせず、チームで協力しながら作るためのファシリテーションなんだなと思った。三澤さんがグラレコ隊に『失敗とか気にせず積極的に描いてください。自分も参加して。』と言っていたのに納得。
実際に自分が描いてみて、自然と議論のなかで指差しが生まれていて、視覚化の意義を感じられたこと、視覚化されていたことで、短い時間でも「その場で何が話されたか」を把握しやすくなっていそうだったことは描いて良かったと感じられたことでした。あとでチームの方と話していたら、ちょっとぎこちなかったと色々バレてました^^; 日頃参加するワークショップは、ワークショップや方法論のやり方を学ぶものだったり、バックグラウンドが似ている方とご一緒することが多いですが、日頃自分があまり関わることのない方々の議論のお手伝いをするのは新鮮で楽しかったです。
グラレコは、「聴き分ける」「表現する」「構造化する」の3つの力が必要で、そこにファシリテーションも加わると色んな能力が必要で。絵で表現することは得意だけれども、まだまだ足りないことばかりでこの分野に向いているかもわからないけど、少しでも議論の役に立つのであれば、描いてみるという挑戦は悪くないなと思ったのでした。
「命を守る」ための気付きや思いを共有して、第4回ワークショップ終了です。 pic.twitter.com/wAtJZEUiTF
— 内閣官房国土強靱化推進室 (@ResilienceJPN) 2017年2月4日