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夢中という魔法と意思とお金とタイミングのはなし

年が明ける前に下書き消化!2011年は『夢中』って力の大切さをすごく感じてた気がする。精神的に参ると、どうしても動けないんだと感じた2011年。徒然吐き出しておく。

最近、夢中だなーってものが無くて、ぽっかりしている。昔は「好き」や「わくわく」があったけど、そういうのを諦めてきたなと思い出すことが多くてすごく悔しい。実家に居た頃、好きなものに夢中になって「こんなふうになりたい!」「これを仕事にしたい!」と言うと、「あんなの氷山の一角の人しか成れないから無理」と諭されてきた。だけど、目指さなくてはそこに向かう資格さえ失ってしまうでしょ?そう言われたことによって諦めるだけの気持ちだと言われればそうだったんだけど。

大学入学した際、「いつかいいパソコン買ったらいいから」と言って買い与えられたのはオフィス作業向けのノートPC。ワークステーションを持ってる同級生を羨ましく思いながら、それでも作品が作りたくて作るのに夢中になった。どうしても欲しかったなら、バイトしてでもお金を貯めて買えばよかったのに。バイトするより勉強しろと親に言われたという理由で(今思えばいい子ちゃんすぎ)バイトはしなかった。ここでも、それだけの意思だったってこと。

今は自分で稼いで、PCもソフトも買えるようになった。「昔夢中だったものを今からやっても遅くないじゃない!」と言われりゃそりゃそうなんですけど、あの頃の「夢中」が沸いてこない。その気持ちを持っていた頃は、「お金ができたら」「社会人に成ったら」なんて理由をつけて我慢しなくちゃいけなかったけど、今のうちから過去の自分へ。「今しかないからやっとけ。無理な理由がお金ならバイトするなり親に借りたらいい。時間とお金は借金できても、その夢中というモチベーションを保つのは何よりも難しい貴重なものだ、大切にしろ。」ということ。

今の自分にも言える。「技術が習得できたら」「まだ未熟だから」じゃあそれはいつ?チャンスは逃すな。そのチャンスを逃して悔しがらない様に。その瞬間に浮かぶリスクは、後になればたいした事じゃない。なによりも難しいのは、モチベーションを保つ事。いつまでも夢中で居続けられる事。

「才能が無かったから」というのはきっといいわけで、才能や可能性なんてみんな持ってて、夢中を途中で諦めず、くじかれず、それプラス環境やチャンスの組み合わせがぴったり重なって、厳選された人だけがそこに辿り着けているんじゃないかな、という妄想です。

死ぬまで自分を諦めたくない。