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言葉のカードをきるとき

この漫画のなかの

cakes.mu

キツく言われたらキツく言われたことだけが残るんだ 素直に直すなら優しくいえばいい

というのに激しく同意した。

『口にする言葉は、自分で選ぶことができる』

自分の手元にはいくつかの、これまで生きてきた中で集めた言葉のカードを持っている。甘い言葉から、触れば血が噴き出すような鋭利な言葉まで。ひと、状況に応じてカードを選び取り、これくらいの具合でいいかな、ちょっと強すぎたかなとトライアンドエラーを繰り返している。

そのカードのなかで、ことさら強いカードをあえてきるとき、それにどんなメリットがあるのだろうかと思う。鋭利カードをきると何が得られるのか。

交渉事、勝負事、使わなきゃいけないタイミングはなくはない。

キツく注意するときは?怒りを表すときは?キツく注意するってなんだろうな。恐怖でひとを抑えるのかな。怒りの強さをひとを傷つけるパラメータで表すとかかな。凹んだり傷つけるに「値する」ってことかな。

キツく言われたらキツく言われたことだけが残るんだ

そのひとには、これまでの成功パターンかもしれない。別にそれはよい。

私の父は癇癪持ちで、まぁよくキレられたし私もキレた。祖母もつまはじきにされるほど、自分の感情だけでものを言うひとだった。自分は悲しいんだ!傷つけられたんだ!正当だ!そんな叫びと共に相手側の闇がみえる。追い詰められ、相手のことを考える余裕をなくし、感情を爆発させ、いかに自分の怒りに釣り合う傷をつけるかに囚われてしまう。それに反応してしまう、自分の闇も、またあるかもしれない。

内容が残らない気がするんだ。

キツく言った場合と、別の言葉を選び取った場合と、伝える内容がおんなじなら、前者やっても得しねーな、と思っている。まぁ自分はすっきりさっぱりするかもしれんけど、なんつーか幼稚で滑稽である、と思っている。言葉は強力だから、キツく言ったらいつか自分にはね返ってくる。よっぽどの関係で信頼があるならともかくも、たやすく積み上げた信用は失われ、信頼も薄くなりひとは離れてゆく。

そういうもんだと、思っている。

カードがないわけじゃない。双方得をしないと思うからあえて使っていないだけ。(感情に任せて後先何も考えず使っていいならきることもできる、が怖さが伴う)

そう、思っている。まぁあくまでわたしの話。とある、価値観。できてるか?と問われれば完璧でもないし。ふと思いついて書いた、インターネットの海に投げたチラシの裏の書きなぐりのようなもんである。

いい子ぶってる?そういう考えかたもあるかもしれない。