わたしがどうやって今のわたしになったか、ポエム的むかしばなし(前編)
昨日、インターネット老人会っぽい話を聞いたら影響されてしまい、去年から書いていたポエムを公開しようと思い立ちました。このあたりのツイートがきっかけです。
なんかありがたいことに(?)、わたしがどんなキャリアをてくてくしてきたか気にしてくれるひとが何人かいるので、数カ月前からブログを書いているのだがエモみが溜まりすぎて一向に完成しない
— ひろみつ🦊 (@hiromitsuuuuu) 2019年9月10日
インターネットと出会った時代から現在まで、約20年間、ちょっと長い自分語りです。前半は、学生時代からどう技術とデザインに関する考え方を築いてきたか、後半は社会人になってどういうキャリアを歩んできたかを書いてみます。たまにドヤっています。
ハローインターネット
2018年の年末にNHKで放送された「平成ネット史」で紹介された「インターネット」が始まった時代。わたしの父親は機械系高校の出身で、なんだかんだ機械をいじるのが好きだったものだから、小学生の頃から家に「パソコン」がありました。タバコのヤニで壁が黄ばんだ部屋に、デスクトップ一式。土日になると、富士通のバザールでござーるの旗が並ぶパソコンコーナーに父と一緒に通っては、見本として並んでいるパソコンのチュートリアルやタイピングソフトで遊んだりしていました。
中学時代、仲の良い友達のお父さんもパソコンが大好きで、その影響か友達はHTMLを書いてホームページというのを作っていました。ホームページの「もと」を見せてもらったものの、それはものすごく難しそうで、尻込みをしたのを今でも覚えています。友達の家は歩いて50メートルほどの場所にあってよく通っていたので、彼女と遊んでいるうちにわたしは簡単なマークアップだったらできるようになっていきました。「サンドイッチみたくはさんだら、できるんだよ!」そうやってマークアップを覚えました。それからというもの、学校の帰りに本屋さんに寄ってはHTMLの本を読み漁り、「画像を表示するにはimgと書けばいいらしい」とHTMLタグを1個ずつ覚えてはダッシュで家に帰り、忘れないうちにホームページをいじっていたのでした(小遣いもなく高価で技術書を買えなかったのです...本屋さんごめんなさい)。
その頃、23時以降のテレホーダイと呼ばれる時間だけ、インターネットを使わせてもらえました。ダイヤルアップでチリチリと鳴る黒電話を取ろうとする母親を「電話ちゃうけん!」と静止し、夕方にせっせと作ったソースコードをffftpで公開したり、KENT WEBで配布していたcgiをいじって設置した掲示板やチャットで好きな小説やアーティストの話をしていました。cgiを設置する際に設定する775とは一体何なのか、パーミッションの設定に四苦八苦した記憶があります。わたしが作ったホームページの名前は、「仮想空間」。描いた絵を公開したり、詩や小説、HTML講座なんかも書いていました。
インターネットで繋がった世界には、アーティストや小説など、その頃の私が好きなものと同じものを好きなひとたちがたくさんいて、メル友が何人かできました。香川のど田舎では、ライブになんか行けないから、東京や埼玉の顔も見たこともないメル友にポスターを買ってもらったりしました。掲示板で出会ったおねいさん方と分担してストーリー分岐型のゲームのようなものを作ったりもしました。現実では、スクールカーストの下の方にいたいじめられっこのわたしも、23時からログインできるその仮想空間ではのびのび遊べました。そこは、友達がたくさんいる遊び場でした。
Kyushu Institute of Design
絵を描くのが大好きで、中学も高校も部活は美術部にいました。高校進学の際には県内の工芸高校(公立の美術系の勉強ができる高校)を志望したのだけれど、すこしだけ勉強ができたので「勉強を捨てるなんて勿体無い」と親から結構な勢いで反対され、担任との面談時の反抗も虚しく進学校へ進むことになりました。あまりに反抗したものだから、高校の入学式の際に母親から「嫌な高校に入学することになってごめんなさい」という内容が書かれた手書きの手紙がきました。
ある日、県の絵画コンクールに出展したら、個人で美術館を運営している方から絵を売って欲しいと連絡があり、はじめて自分の絵が売れました。今考えれば、描くのにかけた時間にも満たない金額でしたが、美術系に進みたかった自分にはめちゃくちゃ嬉しかったです。そのころ、例に漏れず結構厨二だったものだから、自分の存在は透明に近いけど、描いた絵だけは認められて、肉体が死んでも生きてた証が世にあるなとか考えていました。とんだ画家気取りです。
少し天狗になっていたのもあり、大学こそと藝大を目指しますが、案の定ここでも「芸術は儲からないから」と、また反対されるのでした。親の勧めは経済学部に行って税理士になるとか、理系だから薬学部に、などでした。長い間そろばんをやっていて、海外の交流大会に出ていたりもしていたので、わけもわからないまま、将来なりたい職業に税理士をあげていた時代もありました。周りの友達は薬学志望が多かったので、試しに薬学部の説明会に行ったらものすごくつまらなくて、一瞬で寝落ちてしまい自分には薬学は向いていないと悟りました。
その頃好きだった教科は数学と物理と英語と美術。物理実験室に通っては、物理の先生とおしゃべりをするのが日課でした。そこで偶然、国立理系(勉強も捨てない)だけど、芸術もやる大学を出たOBのおねいさんがいると先生から教えてもらえました。そこだったらいいんじゃない?電話かけてみたら?と先生に推されるまま、高校3年生が、同窓というだけで東京で働く見ず知らずのおねいさんに電話でアタックをかけ、その後長期休みで香川まで帰ってきているタイミングで高松まで会いに行ったのです。
そこで「芸術工学」という分野と出会います。芸術という名前がついているけれど、なぜかある程度の学力が必要な大学もあって、文句を言われず芸術系に行けそうな望みがありました。そうやって、日本じゅうの芸術工学部を志望校に入れ、パンフレットを取り寄せた大学の中でも、私の目に抜群にかっこよく映ったのが九州芸術工科大学でした。
しかし模試の評価はずっとD判定。センター試験の結果もふるわず。二次試験は数ⅢCと英語、デッサン、色面構成でした。このままでは地元の大学に行かされて、OLをして寿退社とかいうルートに乗ってしまう!これではここで人生終わりだ!と思い(本当にそう思っていた)ながら、必死に予備校に通いました。いざ福岡の受験では手応えがなく、九州に来ることはもうないだろうから記念だとひよこのキーホルダーを買って帰りました。ところが!自宅に届いた合格発表の通知の書面には私の受験番号が...!ほんとうに小指が一本だけひかかったくらいのギリギリで、九州芸術工科大学で晴れて「デザイン」を勉強できるようになりました。(ひよこのキーホルダーは、福岡土産としてばあちゃんにあげました。) わたしの人生の中で、九州芸術工科大学への合格が、一番の成功体験かもしれません。
Art and Information Design
大学には、芸術と工学の融合がデザインであるという、それまで知らなかった世界線がありました。九州芸術工科大学は、1968年に日本で初めて芸術工学という分野を掲げた国立の単科大学です。科学技術と人間の最も自由な発現である芸術を融合させた学問分野を目指し、「技術の人間化」をかかげ、技術を人のために活かす理念が流れていました。人間が技術を賢く利用することによって、より幸せな生活を送るために。人間を中心としたこの考えに、わたしは大変影響を受けました。
この学校には、工業設計、環境設計、音響設計、画像設計、芸術情報設計という、5つの領域が異なる設計学科がありました。本当は画像設計学科(グラフィックデザインが中心の学科)に進みたかったのですが、センター試験の点数が足りなかったわたしは芸術情報設計学科に進みました。英語での名称は、Art and Information Design。いまふりかえると、ソフトウェアデザインに通じるところがあります。芸術工学の概念から文化人類学、色彩学から符号化理論まで、デザインに関わるものから工学まで、幅広い授業がありました。幅広い分野は学んだけれど、これがどう繋がってなんの役に立つのか...工学の分野では工学部に劣るし、デザイン分野では美大に劣るのではないか、学生間では器用貧乏さがよく話題にされていました。
今考えれば、文化人類学のアプローチはユーザーリサーチのベースになるし、実際に技術を利用するにはその技術の成り立ちを知っておく必要があります。のちに学科のWebページを作ったのですが、その際のコンセプトは「未来のダビンチを目指して」でした。レオナルド・ダ・ヴィンチは画家として知られているけれど、建築や数学、幾何学、解剖学など様々な分野で業績を残しています。彼の絵画のリアルで美しい人物表現の裏には、解剖学からの人間の肉体への理解があります。それと同じように、技術を人間のために使うには、技術と人間の理解が必要だったのです。ファッションデザイナーが、素材を理解するように。ちゃんとそのことに気づくのに、結構な時間がかかりました。
はじめてのチーム
大学の課外活動には、照明演出や音響専門のサークル、ライブの記録映像を撮るサークルなど、とにかく専門的なサークルがたくさんありました。特に、学園祭に命をかけるような文化があり、サークルに加えて学園祭の企画に入って1年を通して活動をする人が多かったです。学園祭は3日間+前夜祭。テントの店を出す学園祭というよりは、文化祭に近く、ライブパフォーマンスや空間演出企画、ファッションショーやクラブっぽい企画まで複数の企画団体があり、工業デザインから建築/環境系のデザイン、グラフィックを専門領域とする各学科のメンバーが集まってきていました。
また、文化祭の最終日には「火祭り」と呼ばれる儀式がありました。背丈より高く木材を組んでできた火柱を囲み、テンポの速い太鼓の音に合わせて踊るのです。聞くところによると、大学の設立時、文化人類学の教授が、歴史の浅い大学だからこそ何か強いつながりができる儀式をと考案したものだと聞いたことがあります。
学園祭企画は、芸術工学という思想と同じ文化を共有した、各COE組織のメンバーからなる職能横断型チームのようでした。企画団体の組織は、企画のコンセプトの判断など、トップを務める「頭」と、映像班、美術班、音響班、広報など、その企画に必要な組織で構成されていました。それぞれの分野にも映像頭のような責任者がおり、横の組織と連携しながらひとつの企画を成功させるために有機的に動いていました。あるとき、私が所属していた企画の頭が「頭は実際に手を動かしてはならない。それだと各班で起こっていることが見えなくなって、不測の事態に対応できなくなってしまう。」と言っていたのが印象的でした。大学生ながらに、プロジェクトマネジメントとチームマネジメントをやっていたのです。
その頃のわたしは、インターネットのことを忘れて、グラフィックデザインや映像制作にのめり込んでいました。学園祭では、映像系のひととして、ライブの保存映像の撮影をしたり、演出映像の仕込みをしたりしていました。パンフレット制作の企画にも所属しており、「誰だこの文字詰めをしていない原稿は!」と先輩に怒られたりしながら、制作に関することを覚えました。学園祭企画はとても刺激的でした。同じ目的を共有し、様々な専門のメンバーが協力することによって、いち足すいちが「に」ではなく、それ以上のものが出来上がる・・・ここでの経験が、わたしがチームでのものづくりを信じる原体験になっています。もういちど、あのチームと同じようなものづくりがしたいと思いながら、日々働いています。
Rich Internet Application
就職活動か大学院進学かを考えなければいけないという頃、Webクリエイティブやインスタレーションが百花繚乱で、その頃の憧れはもっぱらWEB広告企業のクリエイター達でした。例に漏れず、中村勇吾さんがヒーローだったし、カンヌライオンを取るようなWEBの広告クリエイティブに憧れました。広告批評や、WebDesigning、Web creators など、図書館に入り浸っては広告系やWeb系の雑誌を読みふけりました。
かっこいいFlashコンテンツはグラフィカルなプログラミングができないと作れない。しかしそこにどう手をかけていいかもわからない...。漠然とWebクリエィティブに憧れたわたしは、とある大手企業のインターンシップにFlashのテーマがあるのを見つけ、2週間のインターンシップに参加することにしました。そのテーマは、RIA(リッチインターネットアプリケーション)開発。Flashコンテンツとアプリケーションの違いも、オブジェクト指向プログラミングさえも知らない私は、ここでFlexを使ったGUIプログラミングに出会います。
インターンシップは、R&Dで実際に検討しているテーマを題材に要件定義から詳細設計、開発、テストの流れをひととおり体験するという流れでした。mxmlの書き方から、ボタンを押したらアラートを出す練習なんかをしました。今では笑っちゃうくらいですが、「クラスってなんですか!」なんて基礎中の基礎を指導員のかたに長々と質問し、ノートはメモでびっしり。よくもこのレベルの話に根気強く付き合ってくれたなと頭が上がりません。
インターンシップの1週目を終え、週末の宿題にとRIAコンソーシアムがまとめた冊子「RIAシステム 構築ガイド Essential 2007」をもらいました。冊子を開くと、「誰のためになぜシステムを作るのか」本質的なことがたくさん書かれていて、つい熱中してしまって一気に読んでしまいました。マネジメント手法こそウォーターフォールでしたが、Jesse James Garrettの5段階のモデルや、フロントとバックでどう連携して設計や開発を進めるか、開発フローへの言及もありました。Flexでのアプリケーション開発と、RIA開発の思想に魅せられ、きゃっきゃ走り回っているうちに、2週間があっという間に過ぎて行きました。「ああこの入館証がないとここにはもう入れないんだな」と寂しい気持ちでインターン先を後にしたのでした。
インターンシップに参加した際、Webクリエイティブに憧れる一方、mixiにのめり込みインターネットで使えるサービスにも興味が出てきたわたしは、ICT教育を専門にする研究室に所属し、卒業研究としてスライドをオンライン上で複数人で編集するアプリケーションを開発しようとしていました。静的なHTMLではボタンを配置するのが限界で、GUIの難しさに頭を抱えていたため、ぬるっと動くインタラクションが表現できるFlexはあまりにも衝撃的過ぎて、その後学割でFlex Builderを購入しました。
広告か、道具か、それが分かれ道だ
大学生活が楽しくて、映像やグラフィックなど色々やったけれど、何を仕事にするか迷っていた私でしたが、webなら映像やグラフィック、すべての要素が詰まっているのではないかと思い、新卒での就職活動は広告系やWEB制作会社を中心に受けました。RIAのインターンがあまりにも楽しかったのもあり、インターン先の企業も受けました。ただ、あのRIAのチームに入れないなら別の会社に行く、と人事に啖呵を切って専門コースの面接を受け(ぺーぺーの学生が、大企業によくもそこまで言えたものです...)、RIAがやれることを前提に内定をいただきました。他にもうひとつ、広告系のWEB制作会社でデザイナーをする道もあり、当時インターン先の指導員だったお姉さんエンジニアにかなり相談に乗ってもらいました。
「ひろみつには、広告系クリエイティブのWEB制作が向いているような気がするよ?後悔しても知らないよ?」 「大丈夫です!逆に今の会社で嫌なところってないんですか?」 「うーん、給料が安いくらいかな」 「それだけ?他は?」 「ないよ」 「じゃあ問題ないですね!!!」
お姉さんエンジニアの心配をよそに、たとえ後悔してもその時方向転換すれば良いのみ!と腹をくくって、エンジニアとして歩む道を決意したのでした。エンジニアがゴールではありませんでした。その頃なりたかったのは、技術と企画の橋渡しができるジェネラリストと言っていました。mixiやブクログのようなインターネットのサービスを作ってみたいけれど、企画しようにも技術がわからず何ができるのか分からないし、そんなの絵に描いた餅だ。新卒カードを使ってでも、研修でプログラミングをモノにしてやろう、あとで技術からデザイナーや企画系に変わればいいんだという目論みがありました。
今思えば、似た技術を使っていたとしても、WEB制作会社が制作していた華やかなキャンペーン系WEBと業務RIAは少し違う領域でした。制作会社の「デザイナー」になるのか、業務RIAの「RIAアーキテクト」になるのかの天秤だったのです。言い換えれば、消費を後押しするデザインをするか、道具のデザインをするかの分かれ道でした。一方、Webのことは大好きだけれど、ユーザーに何かを提供したいと思ったとき、Webに手段が限られない場所がいい。紙媒体やディスプレイ、イベントでもいい、手段ドリブンではなく、目的に沿って手段を選べる企画ができるのがいい。そうやって、その先10年近く籍を置くことになる会社を選びました。
ハロー Java!!
晴れて入社できた私を、1年半のエンジニアリングのOJTが待ち受けていました。私が入った部門の新人は、システム開発の基礎として、1年ほどかけてJavaでのアプリケーション開発をOJTでみっちり叩き込まれる教育方針でした。このタイミングを逃したらエンジニアとして基礎からできるなんてきっとない!とかなり前向きだったのですが、周りに工学や機械系出身のJava経験者が多かったこともあり、バキバキに心が折れながら修行する毎日が続きました。先輩RIAアーキテクトに、「RIAやりたいって来てるらしいけど、flexもプログラムだからね。プログラムできないとただのデザイナーだよ。」などと煽られる(いま考えるとただのデザイナーという物言いもひどい)など、本当に意識だけ高くてぽんこつな新人時代でした。それでも、技術とデザインを繋いだものづくりをするんだという謎の使命感だけは燃え尽きず、先輩エンジニアが電車内での勉強のために分厚い技術書を3枚おろしにして毎日持ち歩いていると聞けば真似をして高い技術書を切り刻んでみたり(あとで先生に見つかって、本を粗末にするなと怒られました)、先生から本には線をひきながら読みなさいと言われれば愚直に本を線とメモだらけにしていました。「実力が伴わない主張ばかりせずに今はスキルと知識を身につけるんだ」そうやって自戒しながら。
研修では、言語特性を知るためのJavaでのコードゴルフ的なものから、UMLの図の書き方、ドメインモデリング、ユースケース記述、実装、O/Rマッピング、単体テスト、結合テストまで、ありとあらゆるエンジニアリングの基礎を叩き込まれていきました。それまで私がプログラミングと思っていたものはほんの針をついた一部分でしかなく、エンジニアリングとは、システムづくりとはこうも広く奥深いものなのかと知りました。
当時、いちばん教育に心配な新人を講師の隣にするという暗黙のルールがあり、私がその席でした。10年経ってから、久々に講師陣と話をした際に「あのときは質問に返答してもいまいちわかってない顔をしていて、こいつは駄目だなと思ったものだけども、数年経ったら当時優秀だったメンバーよりもひろみつ氏のほうが伸びていた。大事なのはその時のスキルじゃなくて熱量だ、自分の教育の感覚を見直さなきゃと思った。」と言われとても嬉しかったです。
Javaは辛かったけど、この研修がなければ私はエンジニアとして立ち上がれなかったと思います。Javaの先生からは、「技術書は自分のお金で買って線を引きながら読むべし」「行き着くところは宗派」なんて教えられていました。今では、技術書を買って読むことが習慣になり、エンジニアリングもデザインも、行き着くところは宗派で、どんな思想を信じて世界を構築するかの話になると思っています。
吐きそうになりながらでもJavaやってて良かったなと思うし、1年半のOJTでもソフトウェア開発の基礎を叩き込まれててよかったと思う。
— ひろみつ🦊 (@hiromitsuuuuu) 2019年4月1日
フロント実装ができないとUI設計をやらせてくれなかった厳しさも、ぜんぶ、わたしの設計とプロダクト開発の血となり肉となっとるでな。ある意味英才教育だったよ。
RIAの本質だとわたしが思うこと
今更、元カレを忘れられないような引きずり方ですが、ここでちょっと脱線してRIAの昔話をします。今では死に絶えた「RIA(Rich Internet Application)」と呼ばれた技術ですが、むしろ今では表現力が上がり、すべてがリッチです。
当時静的なWebでは表現しきれなかった、動的な、画面へ表現力を与えるものがRIAでした。OSネイティブのソフトウェアと比べ、Webシステムでは入力のたびにページ遷移して動作がもたついたりして、Web上でアプリケーションを実装するには表現力が低い時代があったのです...。主にクライアント側の機能を強化し、OSネイティブと同等の操作感、表現力を備えることを目指していました。当時、Adobe FlexやAIR, Microsoft Silverlight、AjaxなどがRIA技術とされていました。ご存知のとおり、Flashが終焉を迎えたことによって、ブラウザにプラグインを入れるリッチコンテンツの実行環境は軒並み下火になりました。Silverlightは2021年、Flash Playerは2020年にサポートが終了します。
技術スタックも好きでしたが、私が気に入っていたのは特徴とその思想でした。それまで主流だったインストール型の業務系アプリケーションは、アップデートの度にインストーラーを配布してインストールを促さないといけませんでした。それでは業務上の実行環境を揃えることが難しいため、配布と更新が容易なことがRIAの特徴にあげられていました。それと、複数のプラットフォームに対応していること、表現力の高いUIが構築できることが特徴でした。Webブラウザさえ入っていれば、誰でも同じアプリケーションを使って仕事ができて、常に新しい環境を使うことができ、操作性もOSネイティブと同等。いまのSaaSでは当たり前だけど、それが次世代と呼ばれ、価値ある時代があったのです。
前に紹介した、「RIAシステム 構築ガイド Essential 2007」の1ページ目のタイトルには、「全てはユーザーのために。技術はますます多様化するけれど、ユーザー中心設計は不動の中核」とあります。人間とシステムの関係やユーザビリティが重要視され、利用の体験はXPと呼ばれていました。
情報処理技術の発達によって、正確さや処理速度の分野が向上していくことは、もはや当たり前です。残された課題は、操作する人間に近い部分だけとさえ言えます。どんな高度な処理が高速に行える環境が作れたとしても、それを操作する人間のリテラシーが追いつかなかったり、誤操作を招くインターフェースであっては、意味がありません。(RIAシステム 構築ガイド Essential 2007)
これらのRIAシステムは単に見栄えを良くしたものではないということです。...(中略)...企業が投資する「システム」とは、「ハードウェアとソフトウェアの塊」ではなく、操作する人間も含めた全体像だとする考え方が広まっていったのです。それが、「ユーザビリティ」という言葉であり、それを積極的に考慮した設計・開発を行おうとしているものが、結果的に「RIA」と呼ばれるものになっているのです。(RIAシステム 構築ガイド Essential 2007)
このようにRIAの開発ではエンジニアがデザインを理解し、デザイナーがプログラムを理解することが求められてきています。...(中略)...お互いの領域を完璧に習得することは不可能ですが、同じ基礎知識の上に立つことができれば、エンジニアとデザイナーが共通の認識、共通の言語で会話ができるようになります。また逆にエンジニアとデザイナーがお互いのスキルセットの違いを認識することもできます。デザイナーとエンジニアが刺激しあい、足りない部分を補い合いながら成長していけるようなチームになることができれば、こんな素晴らしいことはないでしょう。(RIAシステム 構築ガイド Essential2)
読み返すと、技術は変われど、今のWebアプリケーション開発と同じようなことが語られているような気がしてきます。Javaでシステム開発の概要を知ったわたしはその後めでたく憧れのチームに入り、フロントエンド、UI設計、HCD、アジャイル...と旅を続けるのですが、結局必要な領域を約10年かけてゆっくり一個ずつ集めていっただけなのかもしれません。3年くらいでたどり着きたかった。。。
うーん、そろそろ長くなってきました。続きはまたこんど後編で。
ある日のわたしとユニコーン
※ 新型コロナが流行る前に海外に行ったときのぽえむ供養です。
わたしのキャリアが10年を越えたくらいのある日、海外のソフトウェア開発チームと仕事をする機会に恵まれた。ビジネスアナリストからアーキテクト、UXデザイナーまでが揃っているアジャイルやスクラムなんて当たり前のクロスファンクショナルチームと。
サービスの設計も中盤に差し掛かかり、これからやることの焦点を絞ろうとしたあるとき、日本チーム内の誰かが、海外チームのUXデザイナーについて言った。
「彼がやってるのはサービスデザインだから、フィニッシュワークなんて頼めないよ。」
何かすれ違っているのかも…。念のため彼にデザイナーとしての責務の範囲を聞いてみると、もちろんフィニッシュワークまでやるし、HTMLプロトタイプまでなら自分が作ってしまう、ということだった。そのあと一緒にやったユーザビリティテストの設計や半構造化インタビューはとても柔軟で、嘘をついているようには見えなかった。向こうの大学でも教えていたりするらしい。嗚呼!このひとはユニコーンかもしれない!
「日本ではそういうデザイナーのことをユニコーンと呼ぶんだ。めったにお目にかかれないからなんだけど...あなたはまさにユニコーンだね。」というわたしに、「そんなことを言ったら、うちのUXデザインチームはみんなユニコーンだよ!」と笑われた。
どういう巡り合わせか、そのあと彼らの国のオフィスに行く機会に恵まれ、年に2回しかないという全ブランチのオフィスにいるUXデザイナーが集まるmeet upに混ぜてもらえた。新型のコロナウイルスがにわかに騒がれるなか、カウンターの隅でりんごジュースを啜るどう見てもアジアから来たわたしに、地球の裏側はどんな様子?と興味深く話しかけてくれた。自己紹介をすると、「きみも黒い服だね。デザイナーが黒い服を着がちなのは世界共通なのかも!」と盛り上がったのが、受け入れてもらえたようでとても嬉しかった。
彼の同僚は、日本でワークショップをした際になかなか意見が出ずに困ったのだという。日本のひとはシャイなのかな?どうやって日本のチームではファシリテーションをしているの?と聞かれたので、気をつけてることなんかを話した。彼らの文化のなかでは、ワークショップの参加者は前のめりで、静かにしてもらう方が大変なんだとか言っていた。同じフレームワークでも、背景や文化が違えば工夫が違った。慣れない英語で、もっと深淵に潜れないことが悔しいほどに、聞いてみたいこと、議論してみたいことが後から後からたくさん溢れてきた。所属ではなく、チームの中で果たしている責務で自分を語ることができれば、たとえ地球の裏側でも、同じ話題で繋がれた。専門性は国と言語を越えるんだと思った。
自分たちのUXデザインチームのメンバーは、それぞれ異なる"Super power" を持っている。あるメンバーはプロダクトデザインが得意だし、彼女なんかは全領域をカバーしてるんだとその場のメンバーを紹介してくれた。C#をはじめ、JavaやPythonなど様々な言語を使いこなしていたエンジニア出身のUXデザイナーもいた。エンジニアをやるうちにデザインのことが気になりはじめ、マネージャーと相談してUXデザイナーに転向したのだという。はじめて会ったのに、もちろんきみも"Super power" を持っているはずだとも言ってくれた。
彼らのチームは、専門領域からみても、チームの視点から見ても、謙虚さと尊敬と信頼があって、透明性が高かった。こういうコミュニティは彼らの国でも少なくて、そんな環境で働けている自分はとても幸せだ、いつか自分もそういうコミュニティを作るんだと話してくれた。「ここはユニコーンの村だね!」と話し込むうちに、いつの間にか時計は24時を回っていた。
明日は日本に帰らなければいけない。後ろ髪を引かれつつも帰りの挨拶に回るわたしに、「会えて嬉しかった。ここでの出会いは、きみのデザイナー人生の中できっと貴重な経験になり、きみを助けるだろう。お互い成長しようね。」と丁寧な激励の言葉をくれた。みんなとぎゅっとハグをして、薄暗い深夜のカフェを後にした。
ちょっとだけ、理想のチームを覗けた気がした。価値観はきっと、人との関わりからもできていく。お互いが影響を及ぼしながら少しづつ輪郭がはっきりしてくる。いつか、また彼らとデザインとテクノロジーの話がしたい。
いまの状況を書き留めておくことにした
世の中が、新型コロナの影響で目まぐるしく変化している。過去の自分のブログを読み返して、こういうときの自分の状況を残しておくといいかもしれないと思ったので書いておくことにした。
今の状況
今は毎日8時前に起き、8時に有志でリモートで集まってラジオ体操をし、家で仕事をしている。もともとコアタイムもない裁量労働制なので、時間の使い方は自由だ。VPNが繋がりにくいこともあるので、昼間は長めの休憩を取って夜にたおしたりして働いている。やることは変わらずあるので、なんだか忙しい。気づいたら夜になっている。
2月半ばにCIIDのワークショップに参加し、その会場も入っていたビルで罹患者が出たこともあり、念のためにと2月末に2週間ほど在宅になっていた。3月に一旦オフィスに通勤していたものの、世の中の状況からリモートが推奨になり、4月頭の緊急事態宣言からフルリモート体制になり、GWが近づいたいま、国は方針を発表していないものの、所属している会社は5末までフルリモートになった。いろんな制約のなか、いろんな人がより状況を改善するために尽力していて、変化に対応していくってかっこいいなと思う。
フルリモートワークで変化したこと
タイムラインでこんなツイートをみかけたので、考えてみた。
フルリモート体制になった人に聞いてみたいことを考えてみた。
— naomix (@naomix) 2020年4月22日
- 身だしなみの変化量
- 気分転換の仕方
- 身体のメンテナンス方法
- 雑談の効果や必要性、実施方法
- 新しく始めたこと
- 事前にやって良かったこと
- 消費の変化
- 自宅やオフィスに対する価値観に変化があったか
身だしなみの変化量
化粧しない日が増えた。ビデオ会議や外出で化粧するにも面倒なのでプチプラのクッションファンデで済ますようになった。クッションファンデ、早くてよい。フルリモートになる前、マスクして外に出てる時は汚れるのでリップメイクをしていなかったのだけれど、自宅だとリップメイクで遊べて良い。 会社に着て行ってた服は全然着なくなり、スウェット地の動きやすい服で過ごすようになった。AZULのトレーナーがヘビロテされている。物を持ち運ばないので鞄も使わなくなった。お気に入りの春コートも出番なしである。
気分転換の仕方
天気のいい日は観葉植物をベランダに出して水やりをするようになった。豆苗やアボカドも育てている。仕事の前に朝の散歩もしたりして、なんだかスローライフでおじいちゃんみたいな生活になったなと思う。 オンライン飲みもちょくちょくやっている。
身体のメンテナンス方法
有志でオンラインで集まり、朝のラジオ体操をやっている。仕事前に朝散歩もしている。オフィスに出ていた際には8千〜1万歩歩いていたので、全然運動量が足りていない気がする。先日歯医者のために外出したら疲れすぎて寝てしまった。
雑談の効果や必要性、実施方法
めっちゃ必要だなと思った。会社に雑談タイムができた。オンラインランチもたまにやる。みんなの状況が分かり自分だけではないことを安心できる。
新しく始めたこと
週次でオンラインでReact勉強会をやっている。2時間くらいコード書くのに集中するとだいぶ気分転換になってよい。5月にはりあクト!本を終えられそう。
事前にやって良かったこと
2月末の在宅の時点で、その時の椅子と机では肩が凝るしお尻が痛すぎて30分も座っていられないことが判明し、緊急事態宣言が出る前に奮発して良い椅子を買った。あと、捨てる予定だった広めのデスクを組み立てた。会社のノートPCのキーボードが打ちにくいので、キーボードも新調した。この前届いたクレジットカードの請求書がすごいことになっていた。おかげさまで腰やお尻の痛みと肩こりからは解消された。
消費の変化
いつも昼夜と会社の食堂で食べていたものだから、スーパーの食費ががつんと上昇した。ただ、毎朝コンビニに寄って買っていたお菓子や朝昼の飲み物を買わなくなったので、意外とお金は使わなくなっているのかもしれない。ライブに行けなくなったがグッズはなお買っている。服や化粧品は全然買ってない。
自宅やオフィスに対する価値観に変化があったか
机を拡張して椅子を購入したので、部屋がちょっと狭い。広い家に引っ越したくなった。これまではある意味、帰って寝るだけの空間だったのだけれど、「過ごす」ための部屋になり、部屋が片付いてきた。 オフィスには全然行ってないので、自分の席がどこにあったか忘れそうである。仕事は全然家でもできて、横槍が入らないので集中できる。ただ、様子がわからないので情報が少なくなっている感じもある。
ストレス
3年前くらいから慢性じんましんとゆるゆる付き合っているのだが、最近蕁麻疹が酷くなってきた。引きこもって仕事をするようになって薬を飲んでも抑えきれないときがあってかゆい。元々食いしばりもあって、夜はマウスピースを使っているものの、奥歯が2本欠けてしまった。一本は縦に深めに割れてしまったらしく、根の治療含めた歯医者通いが続いている。フルリモートだから、通勤やらストレスが減ったと思いきや、別のストレスがあるのかなという感じ。フルリモートになり、成果が出せていないのが目に見えてわかるようになり、しんどさがある。オフィスにいると通りがかる同僚がしかめっつらしてるよと注意してくれたものだが、おそらく今ひとりですごく眉間にシワを寄せてモニタを見ているのだろう。 居心地が良かったSNS上には、いつも以上に思想と主張が溢れていて、なんだか居心地が悪くなってきた。空間を変えたり、対面で人と過ごすことって大切だったのだなと思う。
エコシステム
弟はトラックの整備士だ。夜間、物流のために走るトラックなんかも整備している。わたしは家に篭ってデジタルの仕事をしていて、生活するために宅配を使ったり、スーパーに行ったりしている。スーパーには商品を運ぶための物流があって、その物流のためのトラックは、また弟のような専門家が支えている。なんて世界は繋がっていて、回っているのだろう。ふと、自分はその社会のシステムのなかに、ひとつでも価値を提供できているだろうかと、思ったりする。1月末に、世界がこんな状況になるとも知らず、デンマークに海外出張にいってきた。その時から、社会のエコシステムとデザインの役割ににすごく意識が向くようになった。この不確実な状況で、その感覚がより強くなっている。
オンライン帰省という名のビデオ会議
GWの香川への帰省は今回は帰れない。次の夏休みも、おさまるかどうか微妙だと思う。安倍総理がオンライン帰省などというものだから、実家とビデオ会議する方法はないかしらと電話してみた。両親はどちらもガラケーで、母親に至っては携帯でネットができる状態もない。パソコンはあるけどカメラなんてついているのかしら、ついていないと言ってたけど...ということで、その日は結局そのままだった。
ある日、日にちをまたぐくらいの夜中に親から電話がかかってきて、話を聞いたら「すかいぷ」というのをインストールしたから、これでオンライン帰省ができる!という話だった。父親がMS-DOS時代くらいからパソコンいじりをしているので、家には古いデスクトップと、2万円くらいのノーパソがある(ちなみに父母2人とも同じのを持っている)。いくらパソコンおたくだったからといっても、父は最近の流れまではついていけていないらしく、Yahoo!だとチャットができた!ということで時代が止まっている。「すかいぷ」でもできるというから、インストールしてくれたらしい。
母がテレビ電話をするというので、普通の電話のほうで状況ききながら、「何で登録した?」「いま画面になにがみえとる?」「何色のどんなボタンがある?」「じゃあその受話器マークを押してみて」と相手側の画面を想像しながら一個ずつ解決していって、あーこれってCSの方たちがやってることに近いのかもとすごく思った。電話番号を登録したというので、私が知ってるSkype IDの概念がなかった。電話番号で検索してこちらからコールするところからスタート。どこを押せば通話開始されるか分からず(承諾しないといけないので)、1回目は失敗した。向こうの画面には履歴が見えているっぽかったので、承諾ボタンを探してもらったけれど、承諾という概念も難しいのだなと感じた。最終的には、向こうからコールしてもらう形で無事につなぐことができ、ビデオ会議に成功した。
福岡時代も東京時代も、約17年間(!!)、両親はわたしの元を訪ねたことがなかったので、暮らしを知らなかったのだが、画面ごしに知ることになった。なんだか、どこでもドアみたいだった。
いのちだいじに
テレビでは、知っている芸能人の方々の悲報が流れてくる。若い頃の総集編を見ながら、その時期はこんな最期になるなんて想像できないものな...生きるって尊いな...と思ったりしている。わたしは年齢的に危険と言われる年齢じゃないけど、この前受けた人間ドックで、思いがけずいくつも不調が見つかり、病院にいかないといけないこととかもあるし、テレビ電話に映る両親は予想より髪に白いものが混じっていたりして、60代、もうすぐ70代だなと現実を感じる。去年書いた記事に、思うことが多い。
最近、大好きな瀬戸内芸術祭の作品のひとつである「漂流郵便局」の書籍の2冊目が出た。亡くした母親に向けた手紙が多く、いつか人はいなくなってしまう儚いものだよな、限られた「生きる」を楽しまなきゃなと思ったりしている。
漂流郵便局 お母さんへ: 届け先のわからない手紙、預かります
- 作者:沙耶, 久保田
- 発売日: 2020/04/22
- メディア: 単行本
- 作者:久保田 沙耶
- 発売日: 2015/02/02
- メディア: 単行本
家に引きこもっていると、いつもより気持ちが落ち込む。ただでさえ引きこもりで気持ちが落ち込むんだからそんなこと考えないの!って話かもしれないけど、浮かんでくるもんはしょうがないぢゃんね。
2019年のふりかえり
2019年、納めました。毎年、31日にふりかえりのブログを書いています。2018年はこれ。
2018年の年の瀬にはこんなこと↓を言っていたのですが、
2018年は、珍しくとても中身が詰まっていたと思える年だった。たぶん、2年分くらいの密度。AIIT卒業してからだいぶ加速している感があって大変よい。
2019年は社会人人生のなかでも死ぬほどしんどかった。ストレスか体重が10キロ近く増えた。2018年の加速でそのまま離陸できなかった感じだ。毎日のように情けなさすぎて、しにてぇ・・・ってなった。たくさんの人たちにめちゃくちゃ迷惑をかけて、助けてもらって、泣きついて、それでも見放さずに付き合ってもらっていて本当に感謝しかない。人生そういうこともあるよね。みておれ2020年の立て直しを!!!
2019年の妄想はどうなったか?
毎年、次の年の抱負というか目標というか「これはやってみたいな〜」という妄想を書いているので、それがどうなったかをふりかえってみる。
- 積みすぎてるUI設計やデザイン関連の古典を読んで真理に近づく
- 2018年は実践に軸足を置いていてインプットが枯渇してたので古典やら教養を深めるっていうのを目標にしてたのだけど、その影響か「お勉強をするひと」「本ソムリエ」の異名がついたようにおもう。ちゃんと妄想を行動に移したってことね
- 自宅の本棚を拡張する
- 本棚拡張したので積み本が増えました。大丈夫、背表紙からなんかいいパワーが出てる
- 運動不足を解消するためにボルダリング再開する
- 扁平足になってしまい足痛(歩くのも痛い)により再開できず...よくなってきたので来年は再開したさ
- ポーカー練習してポーカーのお友達を増やす
- ポーカーやった。えいやで合宿行ったりした(トーナメントに出たのはいつだったか...記憶がない)
- コードを書く
- TSでReactやってみよーってやってたけど急に忙しくなって断念してしまった
- UI観察日記する
- やってたけど飽きてしまった(ぉ
- 個人サービスつくりたい
- コード書くの断念したのでこれも棚上げになってる
- 技術書典出してみたい
- 2020年のやつに出すことにした。いま原稿書いてる。
- iPadでSketchnote描けるようになる
- iPadより紙だよね!から抜け出してない
- DDD本読んでDDUXの真理にたどり着く
- DDD本のオンライン読書会をして前半の重要そうなところは読んだ。まだ真理にはたどり着けていない。仮説はあるのでこれから。
- アジャイルとデザインの相性悪いんじゃないか問題を紐解く
- 外的要因によりワークフローの研究より、対組織論みたいなほうに軸が移行した。諦めてない。
- どっかで話す
- RSGTにプロポーザルを出してみたけど、採択はされなかった。ちゃれんじはした!あと、SmallIAさみっちょなる配信に出た。
2019年のやったこと / できたこと
歯をくいしばるようなことはたくさんあったけれど、今年できたことも結構あった。
本を読んだ
今年は特に前半、スーンと暇になったのでやたら本を読んでいた(その分積んだ本も多い)。UIデザイン関連の本を読み進めていたら「アクセシビリティ」と「インクルーシブデザイン」のことが気になり芋づる式に関連本を読んだ。知らなかったデザイン分野の知識をもぐもぐできた。
海外勢と仕事した
本業のことは詳しくは書けないけど、海外のエンジニアやデザイナーと仕事をするチャンスが2回ほどあった。どちらも1ヶ月にも満たない短い期間だけれど、英語100%の環境に放り込まれて、自分の英語力とデザイン/エンジニアリングの知識でどれだけ勝負ができるのか試せた。アメリカではエンジニアもデザイナーも尊敬されているし、ひろみつの能力ならこっちにくれば今の2倍の年収にはなるよ(ただし物価も2倍になるけどね)と教えてもらった。本当かはわからないけど。ヨーロッパからきたUXデザイナーが「ノーマンに会ったことある!サインもろたんやで!」って自慢してきて微笑ましかった。どこの国のデザイナーも、大御所に会えるとテンションが上がるのね。私のワークショップグッズのマステをやたら褒めていたので、プレゼントした。
お友達たくさん
デザインとエンジニアリングを横断しているような人と話したいなーと思ってTwitterでナンパばかりしていた。Jesse James Garrett の5階層のモデルを、「5階建てのパンケーキだ!」なんてふざけて、pancake.uxなどというお茶会を開いていたりした。階層を横断している、デザイナーともエンジニアとも名のつかない人と話がしたかった。同じような志向を持っている人たちと出会えて、たくさん話せてとても楽しかった。大学の先輩と再開して開発とデザインの話ができたりもした。人生何がどう繋がるかわからない。
HCDのインタビュー記事を書いてみた
ご縁があって、HCD-NetのHCD専門家の受験者募集にあたって毎年出ているインタビュー記事を2本書かせてもらった。はじめての経験で、めちゃくちゃ時間がかかって苦労したけど、メディアの編集部の方に助けてもらいながらも、無事に公開することができた。
最終的に使う人のことを考えて、いいものを作ろうとしている人たちの話が聞けてとても胸が熱くなった。インタビューは前任の方にほぼお任せだったのだけれど、インタビュー難しい・・・。「なるほど」だけで終わってしまうとなかなかその先を引き出せない。オウム返しでもいいので言葉を返したときに「そう!」って返ってくると嬉しい。
記事にするときに、話した言葉はインタビュイーのものだからコンテクストは歪めたくないなと思って書いていたけれど、そこにこだわるあまりに、はじめはうまく書けなかった。何度かの校正の結果、編集に必要なのはたくさんの言葉と、その言い換えを知っておくことじゃないか、「ことば」と「コンテクスト」にどれだけ敏感になれるかじゃないかと思いはじめた。
インタビュー中はスケッチノートを書いていて、話題の大まかなブロックとかkeyになる言葉を整理して、その後ブロックを組み替えて記事の流れを再構成して書き進めるというやり方でやってみた。これって情報設計に似てるなと思った。
これは、身近なヒーロー達をもっと知ってもらう活動。好きなバンドのライブレポート書くのに似てる。
SmallIAさみっちょなる配信に出た
emi moriya (@emim) | Twitterさんに紹介されて、Small IAさみっちょという配信に出てきた。主催は、坂本さん森田さん和田さん。一回り上の世代の、私からみたら背中を追っている人たちだ(語彙)。一回り上の世代って、その人たちが書いた本とか記事を読んで育ったわけで、わたしの目線から見ると、その人たちと配信で話ができるくらいには成長できたのかしら?と思えてよかった。
年の瀬の忘年会の多い時期に、直前にTwitterでちょろっと告知したにも関わらず、わたしの想像より多くのひとに反応してもらって嬉しかった。いいとも形式で声をかけてもらえたのも嬉しかった。配信に出たあとに考えたことはまたブログに書こうと思う。
Sli.doに質問を受け付けつけて自分について話すのは初めてだったけど、外から見た私への疑問=私への認知で結構面白かった。どうやら、「たくさん勉強する」「いろんなことに興味を持っている」けれど、それがどの的に向かっているのかよく見えなくて、「このひとは何処に向かっているのか」知りたいみたいだった。
勉強会屋さん
2019年は、勉強会屋さんじゃないかというくらい、勉強会の講師をやったりワークショップのファシリテーションをしていた。実践せずに出してばかりいると、自分がスカスカになるということを実感した。手を動かしていないぶん、知らないことは増えている。腕力の衰えには怖れを感じる。レバレッジを効かせるためにどこに重心をかけるのか、分かれ道がきているのだと思う。
2019年にわかったこと
『こどもが魔法少女やヒーローに憧れるように、わたしはGUIの設計家になりたかったんだ。』ということに、何周か回って気づいた。「今更UIデザインなんかやるの?」と友達に言われたときに、すごく大事なことを踏み抜かれたようで、年始にめちゃくちゃもやもやしていた。
- デザインとエンジニアリングを橋渡ししてGUIを設計する
- チームでつくる
- ユーザーの役に立つものを作る
は、当たり前だけど踏まれると怒るくらいには大事なものだった。あと、ちょうど社会人10年が終了して、色々考えているうちにここにたどり着いた。
2020年の妄想
2019年同様、目標と書くと達成できないので忘れないように妄想を書いておく。
- 岩盤ヨガに行きたい
- ボルダリング再開
- レアジョブ続ける(まずは週4復帰)
- 1ヶ月ふりかえりをやる
- 技術書典に無事に本を出す
- コード書く
- 積みすぎてるUI設計やデザイン関連の古典を読んで真理に近づく(継続)
- DDUXの真理にたどり着く
そんではまたらいねんー
生きることと死ぬことへのファクトフルネス
久々に、だらだら自分の脳内をまとめる長文が書きたくなったので「ブログ」っぽいものを書こうと思う。最近、母親と電話するときに「あれ?この話は冒頭でしたのにまた質問されているな?」と思うことが増えた。たった数分前の会話なのに、同じ会話をしていることがたまにあってドキリとする。聞き漏らしだと気にしないようにしようとするが、続くとやはり物忘れやその先にある認知症を意識せざるをえない。長期休暇で実家に帰るたびに、白髪が増えたかな?祖母の記憶力が少し衰えたかな?そんなことが気になってくる。
ああ、今は永遠に続くわけじゃない。
当たり前だが、私たちは確実に老い、死に向かってゆく。各々の残り時間は公開されていない。きっと、わたしも平均寿命くらいは生きられるかな。そんな、不確実な予測のもと生きている。M-1のぺこぱのおきまりの台詞「時を戻そう」。現実では、時を戻すことはできないし、時計は左回りに回らない。なにも、悲観的になっているわけじゃない、事実そうなのだ。
29年 = 56840時間
最近、希望する高齢者は70歳まで働けるようにしようとかいう高年齢者雇用安定法改正案のニュースも耳にする。まだ決まったことじゃないので仮に定年を65歳、かつそれまで健康に生きられるとすると、わたしの残り時間はあと、29年。年間休日の平均は120日と言われているので、1年間に365-120=245日働く換算で、1日8時間だとすると、245日×8時間×29年 = 56,840時間残されている。これを、働く=生きるとして考えたときに、何に投資をするかを考えることが必要なのではないかと最近思うようになった。
1万時間の法則で考えると、新しいことを5つくらいはできそう?でもきっと全部は使えない。病気や、介護や、もしかしたら育児もあるかも(もしかしたら事故か急な病気ですぐ旅立ってしまうことも考えられる)。やりたいことを100パーセントやれるわけでもないだろうし、パフォーマンスだって落ちる。それも鑑みたうえで、何に使う?わたしは、生きている間に、何を成そう?
5日×3回×20年 = 300回
仕事だけじゃない。たとえば。両親が健康で、85歳くらいまで生きるとして、あと20年。たった、20年。孫だって成人しない。わたしの仕事人生の残り29年のうち、20年、毎年正月とGWと夏に5日間ずつ帰省したとする。朝昼晩のごはんを共にしても、5日×3回×20年 = 300回 。あなたと何回、食事を共にできるだろうか。たとえば、この文章を読んでくれているなかにいる友達、なかまもそうだ。あとどれだけ食事を共にし、おしゃべりできるだろうか。もし伴侶ができたとして、子供ができたとして、どれくらい一緒にいられるだろうか?
限られたリソースを何に配分するか
そんなことを考えはじめると、生きること、時間、いろんなひとと会うこと、食べることが急にとても貴重なものに思えてくる。いくら医療が発達したとしても、今の予測では人は、かならず死ぬ。人生の終わりは等しくくるのだから。たぶん、年齢なんかもあるのだと思う。30代半ばになると、先に生まれた先輩たちが、別の世界に旅立っていく。そういうタイミングに同席する機会が増える。そうすると、あまりにもあっけなくこの世界からいなくなってしまったことがとても不思議で、ああなんてこの体という乗り物は不確実で不安定なのだろうと思うのだ。
悲しむことや、凹むことや、むかつくことや、喜ぶこと、交渉がうまくいかなくて詰むこと、対立すること、受け入れられること、全部全部含めて生きる時間だ。どうせなら、ネガティブな時間は減らしてパフォーマンスが出るように時間を使いたい。せっかく、居心地のいいひとたちと過ごすなら、愚痴なんかよりももっとわくわくしたり深まる話をしたい(もちろんそのひとのためになるなら相談を聞くことは嫌じゃない)。
ポーカーをやったことも、大きいのかもしれない。ゲームに関しては完全に弱くて自分のスタック(保持しているチップ)はすぐに吹っ飛んでいってしまうのだが、なんだかポーカーに似ている。アジャイルコーチングの本を読んだら、『配られたカードを変えることはできない。変えられるのは、そのカードでどのようにプレーするかだけだ』と書いてあった。配られたカード(環境、スキル、運とか色々)と、手持ちのチップ(残された時間)を使った人生ゲームなんじゃないかな。もう、ひとのゲームにチップを賭けている余裕がない。
好きに生きろ
このごろ呪いが解けて、ひととじぶんを少しずつ切り離せるようになってきた。誰かが叶わない想いをこじらせてしまって、悲しみからくる怒りや嫉妬を向けてきたとき(恋愛ではなく人生において)、「それは彼/彼女の問題だ」と思えるようになってきた。昇華できずにこじらせている他人の苦しみを代わりに引き受けてまで、限られた生を使う余裕はないと思えるようになった。
そうこうしていると、自らのこじらせにより私の人生をコントロールしようとしてくるひとがてんでダメになってしまった。意思を尊重し、死ぬその時まで選択の自由があること、誰かの意思ではなく自分の意思で決断していること。たぶんそれならいつ人生の終わりが来ても笑える。「落ち着いたら、あとでやろう」なんて、いつまで経ってもないし、そうこうしているうちにも時計の針はどんどん進んでいる。
ちょうどこの前、長いこと推していたデザイン会社が解散を発表した。そこには、「命をどのように配分していくか」について書かれていた。大学時代にアルバイトをしていたWEB制作会社の社長さんは「人生のほとんどは家族と仕事で占められている。だから、一緒に過ごすひとが大事なんだ。」と話していた。自分に残された命は自分のものだ、自らのハンドルを握って、自分の意思で使い道を決めていかねばならない。
はやくこれに気づきたかった。でも、今がわたしの最速なんだ。
最近読んだ、アクセシビリティとかインクルーシブデザインに関連する本をまとめてみた
UI設計の文脈から「悲劇的なデザイン」を読んだら、すっかりアクセシビリティのことが気になってしまい、7/20のJAC( Japan Accessibility Conference - digital information vol.2 に参加してきたよ - hiromitsuuuuu.log(); )以降もせっせと興味の赴くままに関連本を読み漁ったのでまとめておく。(とくにこれといって最近アクセシビリティのお仕事をはじめたわけではないです。これってわたしに関係のない話じゃなくて、そのままデザインの話じゃね?と思って教養の一部として読んでいる感じです。)
実装よりも先に、なぜ?どんなひとに?が気になったので、概念や考え方、背景寄りの本が多め。
読んだ本
悲劇的なデザイン
悲劇的なデザイン ―あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?
- 作者: ジョナサン・シャリアート,シンシア・サヴァール・ソシエ,高崎拓哉
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2017/12/27
- メディア: 単行本
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デザインの影響で人が亡くなった事例からダークパターン、アクセシビリティまで倫理観に富んだ良き本。デザインは人を殺し、怒りを煽り、悲しみを呼び、疎外感を与えてしまう可能性のあるもの。メモしておきたい名文がたくさん出てくる。「お化粧」なんかじゃなく、これほどにもデザインには影響があるのだということがわかる。デザインが軽視され優先順の低いプロダクトは失敗すること、その問題のひとつに組織構造があることにも言及されており「エンジニアリング組織論への招待」でも紹介されているコンウェイの法則を思い出させる。以下、本文の引用ツイートなど。
「デザインは人間とテクノロジーの橋渡しをするためのもので、橋がどれだけ渡りやすいかは、私たちデザイナーにかかっている」
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
『インターネットの構築は、街の都市計画と同じくらい大切なものになっている。体に障害のある人が暮らしにくい街を作らない(少なくとも作ってはいけない)のと同じで、一部の人しか入れないウェブも作ってはいけない。』
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
めちゃくちゃよい。
『テクノロジーに目的はない。人間の行動はどれもある意味でテクノロジーだ。肝心なのはテクノロジーにどんな方向性を与えるか。テクノロジーの本質はツールだ。』
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
「悲劇的なデザイン」読了した!デザインの影響で人が亡くなった事例からダークパターン、アクセシビリティまで倫理観に富んだ良き本だったー! pic.twitter.com/Cw5iJzLY6W
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
ミスマッチ
ミスマッチ 見えないユーザーを排除しない「インクルーシブ」なデザインへ
- 作者: キャット・ホームズ,ジョン・マエダ,大野千鶴
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2019/03/15
- メディア: 単行本
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最近読んだデザイン系の本で一二を争うよかった本。かつて、私の先輩は「デザインは人間力だ」と言っていた。誰かのためを思って創り出したものが、誰かを排除してしまうかもしれない。排除とそれに伴う社会的な拒絶、自分の居場所がないときの気持ち。そこまで考えてしくみを作っているか?『デザイン次第で、私たちが世界にアクセスし、参加し、貢献できるかどうかが決まるのだ』しくみをつくることが排除を産むとはどういうことか、デザインすることの影響について考えさせられる本。
テクノロジーが生活のあらゆる領域に入り込むにつれて、排除がさらに蔓延する恐れがある。というのは、かつて人対人だった交流は、今や機械によってファシリテートされているからだ。テクノロジーを取り入れた人間の交流はすべて予測がつかない。テクノロジーが拒絶するのは誰で、受け入れるのは誰なのか?
『排除としばしばそれに伴う社会的な拒絶は、だれしもに共通する体験だ。自分の居場所がないときの気持ちを、私たちはみな知っている。』
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月4日
仕組みをつくるということは、同時に排除と向き合うということ、なのだな🤔
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月4日
世界はしくみで溢れている。プロダクトやインターフェースにかかわらず、サービスも、法律も、組織も、「しくみ」。だれに向けるかを決めた時点で、だれが排除されるかが決まる。「しくみ」をつくるひとは、もしかしたら無邪気に誰かを排除しているかもしれないのね。。。
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月4日
障害者の経済学
- 作者: 中島隆信
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2018/04/13
- メディア: 単行本
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JACをうろついていたら、Rikiya Ihara (@magi1125) | Twitter さんがお勧めしてくれた本。障害者問題が経済学の観点から論考されている。家庭環境や教育、法律、障害者施設から働き方改革まで様々な側面から論じられている。「障害」は個人の心身機能に何かしら欠損があること(医学モデル)ではなく、社会の変化が障害を作り出しているという「障害の社会モデル」の考えに基づいて書かれている。
差別の分類についても解説されており、商学部における男女別専任教員数の統計を例に挙げて、商業系は男性の得意分野で語学/人文系は女性に向いていると言えるのかといった社会環境がもたらす性差の話も出てきて、思ったよりも自分ごとにして読みやすかった。
個人的には後半、働き方改革の視点が面白かった。障害を感じていなくても個々人の能力が活かせる世の中になればいいなと思う、、、!
日本のこれまでの”働き方”は、企業にとって人事のコストを最小化する目的で設定されてきたと考えられる。すなわち、オールラウンドプレーヤーを新卒で採用し、さまざまな仕事を経験させながら企業にとって都合のいい人材を選び育てていくというやり方である。そして、そうした”働き方”についていけない人は脱落していく。言ってみれば、人間の方が企業の提示する画一的な”働き方”に合わせなければならなかったのだ。
後半のほうが面白いのを付箋が物語っている。『私たちの社会には、他人と比べて能力的に劣っている人を不適格者として排除する傾向がある。職場でも、どんなこともうまくこなせるオールラウンドプレーヤーを求めがちである。だが、それは全体で見たとき最適ではない。』 pic.twitter.com/I79U8uOS6f
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月30日
まっくらな中での対話
- 作者: 茂木健一郎 with ダイアログ・イン・ザ・ダーク
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/01/14
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 14回
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過去DIALOG IN THE DARKに行ったことを思い出し( やさしいくらやみ - hiromitsuuuuu.log(); )、脳科学者の茂木さんにによるDIALOG IN THE DARKの対談本を読んだ。DIALOG IN THE DARKの代表理事の志村季世恵さんと、アテンドの方々と話されている。冒頭で、DIDは「視覚を使う文化」と「視覚を使わない文化」という二つの異なる文化の対話と紹介されており、はっとさせられる。海に行った時に砂浜でどんなものを探す?ファッションってどうしてるの?人を好きになる時って?文化交流みたいな対談。
海に行って、砂浜で綺麗なガラスを拾う一方でとってもすべすべつるつるの触り心地の石を拾う話すき。気づかないことに気づけて見えないものが見えてる感じする。
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月27日
DIALOG IN THE DARK ー暗闇の中の対話ー みるということ
DIALOG IN THE DARK ー暗闇の中の対話ー みるというこ
- 作者: ダイアログ・イン・ザ・ダーク
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2015/12/22
- メディア: 単行本
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DID関連本2冊目。こちらは運営者側ではなく、体験者や企業の声が入っている本。一回体験してから読むと、そうそう!同じ感覚を感じたよ!という気持ちになれる。
アテンドとして、立ち位置を変化させ続ける中で、わかったことがあります。健常者が優位で、障がい者が劣等なのではなく、互いが持っている強みが違うということ。そしてマジョリティとマイノリティはその場の状況や環境で変わることです。
ダイアログに行って買ったこれ読んでる。JACで聞いた触覚の鋭さを活かして開発した今治タオルの話が載ってる!触ってみたいー!> DIALOG IN THE DARK ー暗闇の中の対話ー みるというこ https://t.co/8xr36pyCmG #Amazon
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) August 12, 2019
みえるとかみえないとか
- 作者: ヨシタケシンスケ,伊藤亜紗
- 出版社/メーカー: アリス館
- 発売日: 2018/07/12
- メディア: ハードカバー
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やさしく「ちがい」について考えさせられる本。宇宙飛行士の主人公が、いろんな星の住人に出会って「ちがい」を見つけ、どの星でも「めずらしいからだ」になってしまい、その星での障害を感じていく。その人に障害があるのではなく、社会によって障害が作り出されているというのを理解することができる。
「悲劇的なデザイン」からはじまり、最近の興味がアクセシビリティに偏ってきて興味のままに本を読んでいるのだけど、この絵本が面白かった!「おなじところを さがしながら ちがうところを おたがいに おもしろがればいいんだね。」違う文化をなにそれすごい!おもしろいね!って尊重する姿勢が学べる pic.twitter.com/W4b7ZTuA6p
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月29日
目の見えない人は世界をどう見ているのか
- 作者: 伊藤亜紗
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/04/16
- メディア: 新書
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↑で紹介した「みえるとかみえないとか」の元になった本。著者は生物学者を目指していた生物オタクで、視覚障害者への理解へのモチベーションが「変身」願望というだけでも視点がめちゃくちゃ面白い。本の中では、世界の捉え方がどのように違うかを解説されている。視覚を使う限り、視点というものが存在し、平面イメージで捉え死角が発生してしまうのに対し、視覚を使えない場合は立体で捉えて特定の視点にとらわれない、など。身近にある別世界という感じで、とても面白い。少数派民族の文化をリサーチしに海外に行かなくたって、すぐそこに、違う文化を形成した人たちの世界がある!
アクセシビリティに対する興味が高まった結果、引き続き教養として『目の見えない人は世界をどう見ているのか』を読んでいる。この本めちゃくちゃ面白いんだけど!?!?ふせんがだいぶ消費された。界隈では有名な本なのかな? > https://t.co/c7R4k2kHr4 #Amazon pic.twitter.com/XPC26vVrvT
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年9月6日
インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン
インクルーシブデザイン: 社会の課題を解決する参加型デザイン
- 作者: ジュリアカセム,平井康之,塩瀬隆之,森下静香,水野大二郎,小島清樹,荒井利春,岡崎智美,梅田亜由美,小池禎,田邊友香,木下洋二郎,家成俊勝,桑原あきら
- 出版社/メーカー: 学芸出版社
- 発売日: 2014/04/01
- メディア: 単行本
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ちょうど興味が高まってきた頃 Hitomi Yamagishi (@yamagishihitomi) | Twitter さんのブログが流れてきて読み始めた。
ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインがどう違うか、どういう背景で生まれたか、排除にはどんな種類があるか、からデザイン事例までを知ることができる。個人的におっと思ったのは、『日本企業の業務の縦割り構造や分社化が、新しいイノベーションを起こしにくくしているという印象を持っている』『組織とプロセスの制度的な障がい、マネジメントの課題は(〜中略〜)解決すべき本質的な社会課題について考える機会を奪っていると感じている』と組織の話まで発展していたこと。
わたしのなかでインクルーシブデザインブームがきてるので読もうかなと著者を見たら、平井先生...!? ん!? 先輩の研究!? ( ゚д゚) となってる。。。10年経って気づくなんて😇https://t.co/Gz29nUnDqk pic.twitter.com/XreeTzgDzS
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) September 23, 2019
『技術者やデザイナーは、「そこにあるべきもの」に形や機能を与えるために専門知識や経験を導入すべきであり、ユーザーの経験を代弁するために専門的な知識や技術を用いるべきではない。』
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年9月23日
(ちょっと番外編) いのちのバトン
- 作者: 志村季世恵
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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DIALOG IN THE DARK の代表理事の志村季世恵さんの本。DIDに出会う前は、薬剤師の旦那さんと漢方薬局&整体の治療院「癒しの森」でセラピストとして末期ガンや妊婦さんのセラピーに関わっていた。どんな経験をされてきたのか、どんな考えを持たれているのかを知れる本。DIDに関わることは詳しく聞かず二つ返事で承諾されたとのことだけど、こういう考えの方が、ひかりとくやらみの世界がたちまち逆転してしまう世界のエンターテインメントに関わられていることに納得がいく。
重い病気の方がよく持つ悩みの中に「もうこんな自分だから誰の役にも立てない。迷惑をかけるだけ」というものがあります。
〜中略〜 役に立っていない人なんて、この世に存在していません。地球の営み、仕組みを考えても、自然から発生したものはすべてが必要なものです。
眠れなくて、ダイアログ・イン・ザ・ダークの代表理事の志村季世恵さんの本を読んだ。「いのちのバトン」読了、つぎは「さよならの先」。ターミナルケアとしてのセラピー、同じ事実に向かう意味づけを変えていってひとが強くしなやかに終わりに向き合えるの、意味の世界に生きている感じある pic.twitter.com/cAmx5yD1zX
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年9月22日
(おまけ)知るために観たもの/体験したもの
ダイアログ・イン・サイレンス
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、ひかりのない世界。サイレンスは、おとのない世界。DIDの本を読むうちにおとのない世界のことも知りたくなって行ってきた。
ダイアログ・イン・サイレンスにきた!どきどきどき... pic.twitter.com/nCdlkheLEP
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月10日
ダイアログ・イン・サイレンスのレポート描いたよ!(ネタバレ注意) 日頃、いかに自分が「みて」いないかを実感する90分でした。相手の顔や一挙一動に目を凝らして、自分も表現することにハードルがなくなってゆく90分。子供の頃に戻ったような楽しさがあります。手話表現って楽しいかもしれない。 pic.twitter.com/dbwFRU13TA
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年8月17日
ナイトクルージング
全盲の映画監督が映画を作ったら...というドキュメンタリー映画。JACのあとにタイムライン上で話題になっていたので観てきた。
ダイアログのときにも思ったけど、『観る』ってなんだっけ、、と思わされる。同じ世界に住みながら、違う知覚で世界を認識している。パラレルワールドみたいで、その間が映像で繋がったような感じ。
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月27日
佐々木監督が言った「ごめん、高速に読み上げられる音声を、聞き取れる能力がないんだ」といったのが印象的だったな。
— 生贄の子羊ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月27日
ここまでで主に分かったこと
- 障害という言葉には、その人自身の心身に何かしら欠損があるという「医学モデル」と、社会に存在する課題を障害とする「社会モデル」がある
- 「視覚を使う文化」と「視覚を使わない文化」の文化の違いとして捉えられる
- 「視覚を使わない文化」のひとは、世界を立体的にとらえている
- しくみをつくるということは、何かしらの排除と向き合うこと
- インクルーシブデザインでは、リードユーザーから得た示唆を中心に、他のユーザーも使えるよう範囲を広げていく考え方をする
一連の本読みで、インクルーシブデザインの考えかたがとても好きになってしまった!し、自分とは違う文化を知りたくなった!
これから読みたい本
いまだ読みたい本が残っている。まず、アクセシビリティの実装系の本(これまでそんな案件も無かったので実装知識は皆無...)と、志村季世恵さんの「いのちのバトン」のあとに出たエッセイ集と、インクルーシブデザイン本の中で言及されていたスペキュラティブデザイン。何冊読んでも芋づる式に読みたい本が増えていく。。。(けど、これも読んどけっていう本があったら読みたい |・`ω・)←欲しがり
Japan Accessibility Conference - digital information vol.2 に参加してきたよ
7/20に渋谷で開催されたJapan Accessibility Conference - digital information vol.2 に行ってきました(こっそりダイアログインザダークTシャツで参戦してきた :D )
きたよー! pic.twitter.com/GcxfIN8NIq
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月20日
はじめに、『アクセシビリティに取り組んでいる方をエンパワーメント』するために開催されたと、企画意図のおはなしがありました。
個人や集団が自らの生活への統御感を獲得し、組織的、社会的、構造に外郭的な影響を与えるようになることであると定義される。... 広義のエンパワメント(湧活)とは、人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させることと定義される。
精神・発達障がい者の社会へのアクセシビリティ
特例子会社とは↓
誰もが個々の能力を公平に発揮でき、自律的に成長できること。そしたら仕事も生きるのも楽しいし、その人の最大のパフォーマンスが出る。特例子会社に関わらず、マネジメントの本質で、働きやすいとはそういうことなのではと思う。特例子会社ゆえに権限が分離されていて、施策が打ちやすいのかもしれないけど、私たちの働く環境もマネジメントもこうあってほしい。このセッションを聞くまでは、例に漏れず、特例子会社は法律で決まってるからしょうがなく、というイメージがあったけれど、それは誤解だった。
QAの仕事だったりバナー制作のお仕事をしているのだそう。少しのずれなんかも気になってしまうから見つけるのが得意らしいです。私は検証苦手なのでそういう得意な人にやってもらえるととても助かるなぁと思う。能力はグラデーションで、個性で、何かできないかもしれないけど何かは得意かもしれないのだ。それでパフォーマンスをあげればよいのだ。できるひとしかうちには要らない!とか、あいつはできないとかそういう話じゃないんだ。うっ、目から汗が...。
色弱の私が色は大事だという理由
入社のときやったな... #ja11yc_d pic.twitter.com/alAr6SScK8
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月20日
ここの色が同じに見えるんだよ、と例を見せてくれた。列になっている横一列の部分は同じ色に見えるらしい。
世界を変えるクラウドサインの取り組み
AB案改善後のユーザビリティテストの実際の動画を見せてくれた。ユーザーテストで得られる学びは桁違い。「キャンセルと閉じるはどう違うんだ?」という発話を聞いて、言葉ってめちゃくちゃ大事だなと再認識した。
企業が真剣にアクセシビリティに取り組む今とその可能性 ーソニーグループの取り組みを通してー
ソニーさんのアクセシビリティに関する取り組みのお話。コンプライアンス(海外の法規制/海外進出)や公共調達(公共機関の調達条件)の企業の側面と、様々な機器で利用されたりユーザーが高齢化していること、品質・使いやすさの側面から、企業がアクセシビリティに取り組まない理由はないとのこと。最終製品をグローバルに出すとなると、海外の法律やコンプライアンス周りの話になってアクセシビリティ、ってなるのはなるほど感があった。
『アンチャーテッド 海賊王と最後の秘宝』というゲームのアクセシビリティに関する動画が紹介された。『多くの人を楽しませたいから、アクセシビリティが最優先事項になるのは当然のこと』と言うコメントが良い!!ゲームのなかでは冒険野郎になれて、気分転換をすることができる、素敵だ。
大企業でのこういう取り組みは形骸化したり、ガイドラインを作っても効力がなかったりする感覚があるのだけれど、長年(2007年くらいから!)取り組んで、ここまで監査役が力を持って、アクセシビリティの品質チェックを行ってるのがすごいなと思った。会社の行動規範にアクセシビリティの視点が入っているのがものすごく強い。ベンチャーや制作会社ではなく、日本の大企業がこういうカンファレンスの場で企業の立場で話したら、アクセシビリティ強い制作会社さんとのマッチングが強まってwin-winでさらに強くなるループが周りそう。声を上げない方が損だと思った。
Webアクセシビリティのスキルがビジネスへと繋がる時代
アクセシビリティに取り組む制作会社の立場で、どうビジネスにつなげていくかという視点でのセッションだった。WEBの利用者が増え多様化してきたので、アクセシビリティに取り組むことが競合優位性になるとのこと。「知る」「組む」「言う」「つかむ」の4つがキーワードとして語られました。
- 知る:今は当たり前でないと知る(専任チームを組むなどして見えるようにする)
- 組む:デザイナーやエンジニアなど様々なロールの人と組む
- 言う:社外アピール、「できる」と言う
- つかむ:できる案件を掴んだり、引き寄せる
4つの視点は、アクセシビリティの話に関わらず、何か新しい取り組みを社内に広めていく際に共通することだ!
参加してみて
今日はアクセシビリティで世界が変わりそうだと感じたし、本当に一発当たりそうだと思いました #ja11yc
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月20日
アクセシビリティを業務にしている訳ではないけど行っても大丈夫かなぁ...と思いながら参加したのですが、アクセシビリティってデザインの話だ、デザインしていくぞと見事にエンパワーメントされて帰ってきたのでした。小並だけど、ここ最近で参加したカンファレンスのなかでもめちゃくちゃ楽しかったです。
いつもスケッチノートにはオレンジと水色を使っているのだけれど、それが気になってきて、スケッチノート仲間と、自分のペンの色が見分けやすい色になっているのか気になってくるね、て話した。そういう見方が少しできるようになるだけでも、変化だと思う。
昼から夕方まで5セッションありましたが、登壇者の皆さんがウィットに富んでいて、おやつゾーンがあったり、休憩時間がゆったりしたりしていて半日いても全然疲れがなかったです。懇親会ではシチューが出たり、ケーキがあったりとこれで千円でいいのか、、、この価値を世の中にちゃんと還元していけということなのか、、、と思うくらいでした。スタッフのみなさま、登壇者のみなさまありがとうございました。
アクセシビリティって、結構昔から大事だと言われてきているけれど、人口の減少や、ウェブが一部の人が見るものじゃなくインフラになった社会的背景もあって、アクセシビリティの重要さが高まっているのだと理解しました。日本の人口は減っていく一方で、高齢化も進み、それでも私たちは働かなくちゃいけない。何も不自由なく生活していると「あっち側」と「こっち側」に分けて考えてしまうけれど、いつ自分の能力が衰えてしまうかもわからない。私でも、梅雨でちょっと低気圧がきただけでも朝会社にいくのがしんどかったり、パフォーマンスが出なかったする。みんなが継続的に働いたり生きていくために必要な考え方なんじゃないかと思う。明日から自分には何ができるかしら。
スケッチノートをシェアしたら、車椅子ユーザーの友達に届いて、また違う視点からの話になったりした。わたしが、これ楽しかったよー!! 来れなかったみんなも見てー!聞いてー!ってやってる勉強会ブログがわりのスケッチノートが少しでも役に立てば嬉しい。
その後思い出したこと
そういえば、大学のユニバーサルデザインか何かの授業で、「2人組になって、一人はトイレットペーパーで目隠しをして駅まで行く」というお題を体験したことがあったのを思い出した。掴んでる相方と音が頼りで、大学から出るのも、大きな道路を渡るのもめちゃくちゃ怖くて、こんな世界で暮らしているのかと思ったのだった。福岡の駅近くを、トイレットペーパーで頭をぐるぐる巻きにした人間と歩くというのは遠目から見て異様だったろう。けれど、めちゃくちゃいい体験だった。エピソードを聞くより、自分が体験した恐怖はものすごかった。手を引いてもらうより、腕を掴ませてもらったほうが体の向きがわかるというのはこういうことか、とかわかることがたくさんあった。トイレットペーパーはなんとかならんかったんかwとも思うけど、いい教育だった。そうやって、少しでも相手を理解できる機会があると想像できるようになっていい。
ふと思い立ってイアログ・イン・ザ・ダークを予約しました。
読む本
カンファレンスで紹介された本、売ってた本のメモ。
悲劇的なデザイン ―あなたのデザインが誰かを傷つけたかもしれないと考えたことはありますか?
- 作者: ジョナサン・シャリアート,シンシア・サヴァール・ソシエ,高崎拓哉
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2017/12/27
- メディア: 単行本
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ミスマッチ 見えないユーザーを排除しない「インクルーシブ」なデザインへ
- 作者: キャット・ホームズ,ジョン・マエダ,大野千鶴
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2019/03/15
- メディア: 単行本
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- 作者: エレン・ラプトン,武舎るみ,武舎広幸
- 出版社/メーカー: ビー・エヌ・エヌ新社
- 発売日: 2015/06/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 伊賀公一
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2011/04/19
- メディア: 単行本
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- 作者: 中島隆信
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2018/04/13
- メディア: 単行本
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デザイニングWebアクセシビリティ - アクセシブルな設計やコンテンツ制作のアプローチ
- 作者: 太田良典,伊原力也
- 出版社/メーカー: ボーンデジタル
- 発売日: 2015/07/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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コーディングWebアクセシビリティ - WAI-ARIAで実現するマルチデバイス環境のWebアプリケーション
- 作者: ヘイドン・ピカリング,Heydon Pickering,伊原力也,太田良典,株式会社Bスプラウト
- 出版社/メーカー: ボーンデジタル
- 発売日: 2015/03/27
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インクルーシブHTML+CSS & JavaScript 多様なユーザーニーズに応えるフロントエンドデザインパターン
- 作者: Heydon Pickering,太田良典,伊原力也,株式会社Bスプラウト
- 出版社/メーカー: ボーンデジタル
- 発売日: 2017/11/04
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Form Design Patterns ―シンプルでインクルーシブなフォーム制作実践ガイド(仮)
- 作者: Adam Silver,土屋一彦,株式会社Bスプラウト
- 出版社/メーカー: ボーンデジタル
- 発売日: 2019/11/25
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悲劇的なデザイン、めちゃくちゃ良いのでおすすめです..!! (以下、引用
「インターネットへのアクセスは人権だという考えを持つ」
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
『アクセシビリティは自立した生き方を可能にするし、どんな人にもメリットがある。テクノロジーが限界を打ち破る助けになるものだとしたら、アクセシビリティは、限界を飛び越える力になる。』
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
この本エモすぎる...
『ユーザーを理解してはじめて、ユーザーを傷つけないだけでなく、彼らのニーズを本当の意味で満たす正しい方向へ進むことができる。』
— ひろみつ (@hiromitsuuuuu) 2019年7月14日
お前が信じる俺でもない、俺が信じるお前でもない。お前が信じるお前を信じろ。
ですね。